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二ビル通信

えげつない問題を勝手気ままに取り上げるブログ


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日本のエンタメ・インターネット低劣化問題まとめ


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重度のウィキペディア中毒(依存症)の
ウィキペディアン達って、何者ですか?
一年365日毎日毎日一日も休まずウィキペディアの編集に関わっている
重度のウィキペディア中毒(依存症)の
ウィキペディアン」ってどういう人達ですか?
私は彼らの投稿回数(一日数十回!)と
投稿内容(分野問わず手当たりしだい!)
から判断してどの分野の専門家(元専門家)でもない
完全な素人の「ニート」だと思います。
精神科へ行ったほうが良いと思いますけどもね。
皆さんはどう思いますか?


そういう異常者があのような
いい加減な編集しているんですね
このままでは未来永劫ウィキペディア
信用に足るものになることはありませんね。


Wikiサイト[編集]
ウィキペディアウィキペディア日本語版[編集]
ウィキペディアは百科事典を称しているが、実態は2ちゃんねるを上回る唯の有害サイトである。著名人のプライバシーを暴露したり名誉や尊厳を著しく傷つけたりするような記述が「百科事典の記事」として掲載される為、その悪影響は計り知れない。さらに、ウィキペディアの記事には他のウェブサイトの内容を転写した物が多数存在するのではないかという疑惑まである。

こういったサイトである為、ウィキペディアの利用者達(俗にウィキペディアンと呼ばれる)はかなりの変質者であり(だとすると、管理人はウィキホリックなはず)、収録記事の編集以外にも数々の問題行動を繰り返している。2007年にYourpediaが発足した事によりウィキペディアにとって不都合な情報が流れるようになった為、ウィキペディアンは報復としてYourpediaのあらゆる記事でヴァンダリズムに及んでいる。この「有害サイト - Yourpedia」の記事にも「(Yourpediaの)存在自体を抹消して欲しい」というウィキペディアンの危険な本音が書き込まれている[2]。

利用者にユダヤイルミナティフリーメイソン陰謀論の信者が多く、間違いを訂正しても逆恨みに無期限ブロックされてしまう。また、ウィキペディアをまともなサイトだと誤認して編集に参加した熱心な初心者の大半は常連のウィキペディアンからありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられ、多大な心的苦痛を被りつつウィキペディアから追い出されている。何故、常連はこういう事をするのかというと熱心で真面目な利用者が多くなり過ぎてしまったら常連達の問題行動が彼らによって咎められるようになり、常連が好き勝手に編集できなくなる為である。さっさと初版記事をモラルのないものの手によって作ってしまいたいという欲望も大きい。しかし、そういった行為はむしろウィキペディアの実態を世に知らしめる流れを助長する行為であり、大手検索サイトの後押しによる利用者の増加がその点において逆効果となり、あたかも自分で自分の首を絞めているような様相を呈しているといえる。…その結果、年々信頼性も低下し、編集頻度の高い項目もオタク的なもの(例:アニメ、漫画、パソコンゲームetc)に偏っていくなど、時を経るにつれ(周囲のバックアップによって利用者が増えるにつれ)その付けが徐々に顕在化しているのは、皮肉という他にない。

また、記事の閲覧だけを目的に利用しようとする場合でも多くの記事に嘘や出鱈目が含まれている為、結局は真に受けた利用者が後々に恥を掻くという被害を受ける事になる。運営側の御用メディアはウィキペディアを礼賛する捏造報道を繰り返している為、ウィキペディアの実態は広く周知されておらず、前述のような被害者も後を絶たない。

おかやまりゅうせい(眼鏡恐竜)、Mikomaid が最も酷い荒らしである。


ウィキペディア日本語版は「信頼」できる?

日本語のウィキペディアンって、なぜ出典つけないんすかね。ていうか「出典をつける」というめんどくさい作業を他人にやらせて、どうして平気なんですかね。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99… pic.twitter.com/Sq8KscuThK

nofrills @nofrills 2015-09-01 20:59:49
自分で加筆するときは出典はつけてるし、加筆がてら他の人の記述に出典をつけたことも何度かあったし、「要出典」をつけたこともあったけど、本当にきりがないので、もう私は北アイルランドアイルランド関連項目以外には(誤字修正くらいしか)関わりたくない。この項目についても手は出さない。
高 史明(TAKA, Fumiaki) @Fumiaki_Taka 2015-08-30 06:30:33
Wikipediaの「京都朝鮮学校占有抗議事件(京都朝鮮学校襲撃事件)」の記事の冒頭の概要部分なんだけど、①と③の間に、概要に記す必要のない②を挿入することで、③の印象がガラッと変わってるよね。印象操作というのはこうやってやります。 pic.twitter.com/ih1HiauHZn

salempianissimo @salemsevenstars 2015-08-30 06:53:07
@Fumiaki_Taka 却って削るとミスリードを誘うケースだ。事実を記述しといるだけで印象操作とするのであれば何も書けない。
高 史明(TAKA, Fumiaki) @Fumiaki_Taka 2015-08-30 07:08:47
事実でないことを書いてるのではなく事実に不適切な重み付けをしてるから、「捏造」ではなくて「印象操作」と呼んでるんですがねぇ…。事件の概要に載せるべき情報として①および③と、②との重要性が同程度と思う人、多分大学入試の論述問題が苦手なタイプだと思う。
多少なりともまともな記事があるとしても…

渡邊芳之さん @ynabe39 2015-08-31 16:20:15
日本語Wikipedia学術系記事に関して言うと最初からよく書かれたものだけが良い記事で,直されてよくなっているものは少ないように感じる。不特定多数に直されてかえって悪くなっているものの方が多いかも。言語だけでなく文化の問題もあるのではないか。
渡邊芳之さん @ynabe39 2015-08-31 16:28:20
それから,日本では専門家があまりWikipediaに期待しないし,じっさいにWikipediaの記事を書いたりしないのではないか。「明らかに専門家が書いている」と思うものが少ない。
返信 RT いいね
渡邊芳之さん @ynabe39 2015-08-31 16:29:34
「ネットを利用している人数」だけで比べれば日本語は決してマイナー言語ではないので「Wikipediaの記事にダメなのが多い」というのは言語の問題だけではないと思う。


人が記事を書く。だとしたら、「書ける人」がなぜあつまらないのか。定着しないのか。




概要[編集]

ウィキペディアの初期ロゴ。生まれたての無垢だった頃

成長途中のロゴ。段々と汚れていく。

ウィキペディアの現在のロゴ。暗黒時代の始まりである

偽物に注意
「誰でも自由に編集できる」と自称する、「オタクのためにオタクが作った」オタク百科事典である。「杜撰(ずさん)」の現代英語訳。別名・「まとめ@Wiki」。


思想と実態[編集]
「百科」の名に反し、掲載可能なものは「管理者[2]」の理解に及ぶ内容に限られる。実態はMuyoやラッコ[3]、MaximusM4に代表される管狸者たちとウィキペディア自警団の自慰行為の場と化している。彼らは管理とは名ばかりの監視を行い、共産主義国家における中央委員会、独裁体制国家における最高評議会のような様相を呈している。この「管狸者」集団と自警団の「認可」と「了承」を得ないと更新一つままならず、執筆・編集は彼らの偏った価値観、低い知能レベルに沿った内容が求められる。そのため多くの社会的機関が未だにこの「百科事典」からの引用を認めていない。

事実や真実を書き込むと「即時削除」され、捏造であっても都合のいい内容を、またいやがらせメッセージを書き込めば、永久保存される。社会学的には営利企業が自社商品を簡易・安価・効果的に宣伝出来る場。“**についてぼくがしっていること”を好き勝手に書き殴る場でもある。

編集は、固い頭と頑迷固陋な精神を持つウィキペディアンなる「ユーモア欠落症患者」や、いわゆるナルシストの内の反社会的な人々たる「平気でウソをつく人たち」が行なう、多彩で巨大な悪い冗談である。医療についてこれに頼れば非常に危険(「死んでも知らない、真実を知りたきゃ医者に聞け、ウィキペディアは医学書じゃねぇんだ」と公言してある。しかも2013年3月中旬にはこれさえも“議論の結果、廃止”とかで消滅した)で、これを見て命を失った人間は世界中の飛行機を使っても一日では運べない数になっている。

一般社会での評価は、「オンライン百科事典を自称する宣伝サイト、とりわけ、大企業の巨大商品(原子力発電所も含めて)では特に悪質である」。「ずさん以下でうっかり引用して会社をクビになった。」「うっかり正しいと信じて国会で笑われた。」。さらに「精神病患者隔離施設、ポルノ画像投稿サイト、犯行予告サイト」と揶揄(やゆ)される場合もある。唯一「オタクが作ったオタクのための「オタク百科事典」」との好評価がある。サイト内での告発ページ(Wikipedia:コメント依頼、Wikipedia:投稿ブロック依頼)での陰湿なイジメ(ネットによる精神的虐待)があり、このページだけに参加する虚偽と邪悪に満ちた人がいる。

アダルトサイト「BOMIS」(ボミスまたはボーミス)[4]の運営者ジミー・ウェールズ(日本名:神保上州)が性風俗の用語集として開設したWikiである。財政的には、2001年1月15日より英語版が開始され、オープンコンテント形式で提供されている。その目的は世界のポルノサイトを宣伝し、ポルノ画像販売を事業としているボミス(ウェールズが代表者)を筆頭としたポルノ業界の社会的貢献名目での減税対策と、羊のような利用者から寄付金により成り立つ。将来的には財団が巨大な赤字を得られれる立場になれば、減税対策として企業間を転々譲渡される運命が待っている。もしも社会的地位を得られれば、それらを支配できるサイトとしてやはり転売される運命になる。

人的には、社会で何ら評価を一切されないヲタクらが唯一自己実現を安易に安価に可能とする場所を提供されたことにより、彼らの投稿する記事により内容が作成される。また、それらを管理す管理者は、主に邪悪なナルシシズムによるボランティアか、情報操作の目的による外国公務員などが精力的に当たるという三角形で大きく成長している。

近年、ウィキペディアは「2ちゃんねるの百科事典」「書式のある2ちゃんねる」とも言われる。実際、2ちゃんねらーネットウヨウィキペディアの記事を話題にし、自殺攻撃とも言える強圧的な記事の書き換えを行った結果、特にサブカルチャーと日本の戦後処理関連の記事において2ちゃんねらーのネタ投下辞典と化している(そもそも、名立たる学者の間でさえ意見が分かれている事象について、どこの馬の骨とも知れない素人が新事実を発見出来るものではない)。それに反発する一部のウィキペディアンとの間での醜い編集合戦こそが、ウィキペディアの原風景となっている。2011年には出典なしで存命人物を批判することは、訴訟が怖いので全面禁止となり[5]、ますます言論弾圧ファシズム2ちゃんねる型掲示板へと成り下がっている。

また、Google検索と相互依存関係にある事から、「Googleの百科事典」とも言われる。多数のウェブページから結果的にリンクされるために、検索エンジンの見かけの上位に必ず現れる。日本独自の事情から「電通の百科事典」と言いまわされる事もある。それは、ウィキペディアに嘘でも何でもいいから、自分や自社の情報を書き込むとGoogleで高いレーティングが与えられ、検索結果として妥当性なかろうとも関係なくヒットするためである(検索エンジン最適化)。2014年6月、鉄則だった宣伝行為禁止及び即時削除規定が「騙りもあり得るから作成者が単に関係者や本人と同名というだけではその対象には出来ない」として、たった一人の管狸者の独断により撤廃・緩和された[6]。

このことから、広告を目的に役員(ベンチャーや中小の企業なら社長)がウィキペディアに自社の項目を作る企業は後をたたない。某パソコンソフトメーカーのサイトで「(製品名)がWikipediaに掲載されました!」、某企業・某クリエイティブアーティストが「わが社(私の名前と創作歴)はウィキペディアにも項目として存在します!」と宣伝(しかし内容は会社案内パンフレットレベルに過ぎない)。ただし、商売仇も指をくわえているわけではなく、商品のアラを探してはそこに放り込むことに、結構社員は帰宅後忙しい(あるメーカーの耐水パソコンはくわえていた指のよだれからキーボードを守りたいとの気持ちから開発が始まったのは有名な話である)。

なお、「ウィキペディア」とグーグル検索すると、ウィキペディアそのものや日本語版、ウィキが上位でヒットするのは去る事ながら、「ハロウィン」(映画ではない方の)やAKB48の内容までがなぜか上位に登場する。

記事[編集]

ウィキペディアの使う思想操作機(左)、情報官(右)。「ウィキペディアの信頼性はブリタニカ百科事典と同等である!!」
英語版開設から現在にかけて、無意味な記事の作成をやたらめったに行ない、且つ放置を繰り返した結果、現在、24時間営業参加している執筆者(普通に朝起きて夜寝ている人間と、完全に昼夜逆転している自宅警備員の2通りがいるようだ)の多くが何らかのオタクであり、ウィキペディア=自己表現におり自己実現を見出す場とするナニカである。

特に一部の執筆者はウィキペディアの主旨に従って性科学ないし性風俗に関する記事の投稿、およびわいせつな画像の投稿を最優先としている。その他にも、自身の趣味をあがなうため、日々せっせとアニメ、漫画、コンピュータゲーム、兵器、声優個々人、テレビの新番組といったサブカルチャー媒体を、自分自身の価値観で埋め尽くすべく、それら作品や物体・人物の寸評や私的な感情を、せっせと勤勉に書き込んでいる。実在の人物や企業に関する批判的記述は、名誉毀損で提訴されるのが怖いので書けないし、書くと消される。もはや人とはいえなくなったナニカも多く、人はそれをウィキペディアンと呼ぶ。

この延長で、様々なメインカルチャーに関する事柄や、鉄道車両、科学、政治、経済、哲学、宗教、芸術、hydeの身長は156cm、オカルト(UMAやUFOや都市伝説や各種おまじないを含む)といった諸々の事象に関する記事、果てはメジャーデビューを目指し売り出し中のインディーズ系バンド、中小企業、起業家や青年実業家、自称クリエイター、自称アーティストの自社・自己紹介ページまでも作成され存在する(「新しいページ」を参照。最新50ではなく出来るだけ多い数での閲覧を強くお勧めする)。もちろん、これらの一見ヲタとは無関係な記事にまでせっせとヲタ項目へのリンクを貼付けることも忘れてはいない。その一方で、真に作成されるべき肝心な事項は、未だに作られない(例として、「ツンデレ」「ロリ」「ぷに」「眼鏡っ娘」が項目として存在するくせに「お嬢様」の定義は存在しない。ギャルゲー・エロゲには欠かせないキャラクターなのに)。

そして、概ねその内容は、混沌が真理を内包している(→集合論)のと同様に、一応の客観的合理性を含むため、一部ではそこに記載された内容が、全面的に信頼に値する内容であると誤解されるが、スタージョンの法則によれば、その9割9分までもがカスである。

実際、ウィキペディアでは500以上の記事において正確性に疑問があることが指摘されているが、「一匹のゴキブリを見たら50匹いると思え」とする定理に従えば、指摘されていない記事も含めるとその数は50倍以上、すなわち2万ページを遥かに越えるのではないかとも考えられている。このような指摘に対してウィキペディアンたちは、「ウィキペディアのパロディサイトであるアンサイクロペディアと比較すれば、ウィキペディアのほうが信頼できる。だからウィキペディアは世界一だ!!」、「英語版はブリタニカ大百科事典並みの信頼度を寄せられている、だから日本語版もブリタニカ日本語版並みに正確なのだ」等と主張している(ちなみに日本語版は日本語版に過ぎず、英語版を和訳したものではない)。どこかの真理教と同じにおいがする。

嘘を書き込んだとしても、出典付き(これが重要)でさえあればその真偽を確かめる方法はなく、釣りにさえ活用可能。ウィキペディアにさえ書かれていればたとえ架空・想像上の創作物であってもその物事は存在し、逆に、書かれていなければ、多数の耳目に触れる事実であってもこの世に存在しない事にされる(ギル・スコット・ヘロン「革命はテレビ中継されないだろう」)。このような思想を「出典原理主義」と言う。これは「出典さえ示せば何を書いてもよく」「出典のない記述を削除することは絶対的正義であるから、たとえ記事が断片化されて意味が通らない文章になろうが、前後で矛盾する記述になろうが、記事の分量が3分の1以下になろうが、他人の編集を台無しにしようが、個人的な対立の報復や嫌がらせに利用しようが、何者にも反対することは許されない」という教条のみを絶対的に信奉する思想である。この思想がたびたび編集者間の対立の原因となり、かつ、良心的な編集者が追い出されたり心を折られたりする原因となっている。この思想においてはさらに「この原理にさえ従っていればウィキペディアは世界一正確で有益な百科事典となる」と信じられているが、実際には「互いに論理的に背反する記述のいずれにも出典が示されている場合の記述はどうするべきか」や、「記事の内容として必要不可欠な箇所に出典が見つけられない場合はどうするべきか」といった問いに明確な答えを与えられず、根本的な矛盾を孕んでいる。この矛盾は「すべての価値に対して寛容であるべき、とするリベラリズムこそが唯一無二の絶対的に正しい真理」とするリベラリズムの矛盾とよく似ている。

また彼らウィキペディアンは堅苦しい表現を不必要なまでに大変好み、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っている(決して改革ではない)。例としては、文を全て「である」で終わらせてみたり、持って回った表現をやたらに使ったり(「オッカムの剃刀」という言葉を知らないらしい)、長ったらしいカタカナの専門用語を説明なしに・また句読点を多用したり、同じ事の再三の繰り返し、ある記述に加筆を装って反論する、法律の文章をそのまま持ち込む(逆に、その項目で扱われているのは何なのかという部分は完全に疎かにされる)、といったパターンが多い。その結果として記事は恐ろしく冗長になってしまう。この行為は内部で雑草とりと呼ばれており、この世で堅苦しくないものは、総じて雑草、即ち邪魔であるかの如くの態度をとっており、この姿勢は一部の利用者から批判を受けている。しかし彼らはそれらの利用者を場を乱す行為、あるいは公序良俗に反する行為であるとして切り捨て、その意見を全く聞こうとはしないが、実体は下手糞な文章の陳列の域を出るものではない。

ウィキペディアでは日夜いくつも著作権侵害行為が行われてもいる。その数は当然アンサイクロペディアの比ではない。しかし彼らは卑劣にも証拠を隠滅したりして、訴えられるのを全力で避けているため、今まで裁判沙汰になったことは一度も無い。このような行為は、飲酒運転事故を起こした犯罪者が危険運転致死傷罪で処罰されるのを回避する為に酒気が抜けるまで逃げ続ける行為と非常に似ており、責任を負おうとせずに逃げ続ける管理者や運営者の悪魔的な人格を象徴している。ウィキペディアの内部でこの事が問題視されないのは、利用者が極めて少ないことを意味している。

中立性を重視していると思われがちだが、利用者によって考え(どれが中立でどれが偏向しているか)が違うため、百科事典に相応しくない記述が目立つ。そして、政治的、宗教的な記事になればなるほど、編集保護の名の下に、情報が古いまま固定される傾向が強いため、世界各国の主要な政治家の記事の多くについて、信頼性が相当低い。英語版の本家Wikipediaには見られない、“方針に賛同していただけるなら”という勝手で閉鎖的な独自ルールで固めているため、管狸者及び自警(ウィキペディアン)の思想や意に反する記述は即削除されるか、ソースの開示を求められるか、アカウントの停止を求めてくる。また、都合の悪い利用者の会話の内容を書き換えるといった手法をとる場合がある。管狸者にとって都合の悪い記事には信頼出来る文献を求めてくる反面、都合の悪い記事には著作権の侵害を理由に記事の全削除を求めてくる傾向にある。

闇魔法[編集]
ウィキペディアで実際に使用されている闇魔法である。

相手を見破る闇魔法[編集]
これは暗黒魔術の代表格。つかえる魔法使いはごく僅かである。この魔法を使いこなすには沢山のアカウントを使いこなして、山羊の頭のユーザーを羊の様に使うことができて初めて許される暗黒魔術である。但し使い方をまちがうと、鉄砲を持った公務員にナワで縛られる場合がある。

IPアドレスISPを調べる。
ブラウザソフトを調べる。
ログイン・パスワードを調べる。
投稿記録の利用時間帯と投稿項目の一致を見る。
コンボによる闇魔法[編集]
分割依頼と削除依頼はそもそも、通常魔法であるが、これを巧みに利用することにより、闇魔法化する高等コンボである。

気に食わない記事を削除する方法~分割と削除依頼[編集]
まず、適当に記事を節ごとぐらいで、可読性とか、一貫が無いとかもっともらしい理由で、分割し細化する。
その後、量も質も低い段階で「百科事典のレベル」に達していない記事だぁと言って、削除依頼に出す。
削除好きな方々や自分と同じ思想傾向を持つ10人ぐらいに投票をお願いして一週間後……(カンバスとかミートパペットとか称し、最も忌むべき行為なのに)
バンザーイ、削除♪
これを繰り返す
もっとも、こっそり消したい場合は、[要出典]と呪文を書けば半月ほどで消すことができる。

最近流行りつつある闇魔法―コメント依頼[編集]
気に食わない相手で、かつそれなりの者を50%ぐらいの確率で落とす呪文。コメント依頼。一見大したことなさそうな呪文だが、相手が活動暦の長いベテランユーザー、議論に積極的に参加するパワーユーザーであればあるほど、効果的である。何故なら、相手の力を利用した呪文であるからである。

まず、気に食わない相手の代表的な失点を10個ほど探す。
コメント依頼で、どう思う?と皆に聞く。
皆が勝手に、それはあかんなぁと注意を与えてくれる。
対立しているユーザーが便乗して「ブロックも検討した方が良いのでは」と言ってくれる。
その注意を成果としてまとめる。
再び同じ行為を相手が行えば。
投稿ブロック依頼へとコンボ。
また、途中で暴言を吐き自滅する相手も多く、ブロックまで追い込めずとも萎縮してウィキペディアから撤退するケースもあり、示威行動としてもかなり効果的な闇魔法である。

最終闇魔法―寄付要求[編集]
このままでは運営が続けられないなどともっともらしい理由をつけてウィキペディアにどっぷりと浸かっている迷える子羊どもから金を根こそぎ吸い上げる。 その傾向は年を重ねるにつれ徐々に顕著になっている。

ウィキペディア (ソフトウェア開発会社)との対立[編集]
Wikipedia
ナニモノかがウィキペディアに「ウィキペディア (企業)」の項目を執筆しましたが、要出典厨・削除厨の暗躍により削除されてしまいました。
神奈川県厚木市に有限会社ウィキペディアという名称のソフトウェア開発会社が存在するが、この会社と自称オンライン百科事典のウィキペディアは名称が同じなだけであり繋がりは一切無い。

ところで、これはウィキペディア日本語版におけるウィキペディア (企業)の削除記録である。自称事典においてウィキペディア (企業)は過去に3回(2008年5月時点)も削除されており、そのうち2回はウィキペディア (企業)の概要と業務内容を書いた至ってマトモな記事であり(分量・内容的に言えばインターネット (企業)とほぼ近い。しかも「インターネット」はオタクの大好きなボーカロイドソフトウェアの開発に関わっているのだ)、事典の削除基準から考えても決して「宣伝目的」(WP:CSD)と見なされ削除されるものではなかった(こじつけであった)。

では、なぜウィキペディア (企業)の記事はマトモであっても「宣伝目的」(または「百科事典の項目になる実績のない企業であり、載せる意味が無い)と見なされ削除されてしまうのか。

それは自称百科事典のウィキペディアがこの会社を(一方的に)敵視、また、その存在を世に知らしめたくないと思っているから。仮に自称百科事典内でウィキペディア (企業)の記事の存続を許せば、ウィキペディア日本語版の「ウィキペディア」の記事に「ここではインターネット上のフリー百科事典について記述しています。日本のソフトウェア会社についてはウィキペディア (企業)をご覧下さい」と誘導を貼らなくてはならない。これだけでもウィキペディアンが言うところの「宣伝」となってしまう。

もちろん、仮に「ウィキペディア (企業)」の記事が作成されることが"結果的に"この企業の「宣伝」になったとしても、一オンライン百科事典が一企業の記事の存続を阻止することは決して許されることではない(一方で、どう見ても特筆性皆無な中小企業の記事は次々に新規作成され「書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています」のスタブ札が貼られて放置される)。

ウィキペディアンは閉鎖性と意地の悪さで満ち溢れているのである。これがウィキペディアの真の姿なのだ…。

UnNews:管理者の陰謀か?ウィキペディアウィキペディア (企業)の記事が削除されるを参照。

日本語版ウィキペディアの特徴[編集]

こんなに違うウィキペディア
2007年9月3日の調査では、日本のウィキペディア編集回数ランキングでアニメ・漫画が上位を独占していることが明らかになった。

英語版では海外や歴史上の人物の編集が目立ち、フランス版では自国に関することが目立つのに対して、日本語版では20位の内約11個のページがアニメ関連の記事(声優、作品内容、登場キャラクターの人物像)。さらにはAV女優一覧が8位であり、これはウィキペディアンの頭がどれほど性欲に満ちているかを証明している。

加えて最近のできごと/削除が10位で、もはや“ウィキペディアン・ウィキホリックの気に入らない物は削除”の方針がこのような結果を残したと言える。

そして時は流れ2012年。この年にウィキペディアの閲覧数をスウェーデン人の学生、ヨハン・ガナーソン君が調査したところ驚くべきことが判明した。それは日本語版の1位がAV女優一覧であるという事実。2位のAKB48の閲覧数、713万3542に対して1856万9543、3倍近くという驚くべき数値を叩きだしている。たったの一年でこれだけ閲覧されているとなると、ギネス記録に登録されてもおかしくないレベルである。ちなみに他国の閲覧数はどうなっているのか気になる方はあまり見ないほうがいい。他国は真面目な記事ばかり上位に入ってて、見てると恥ずかしくて涙が出てくるから(性関連が上位に入ってる国もあるが、日本程ではない)[7]。

あまり話題にならないが、このことは海外で問題化しており、「wikiは遊びじゃない」と言う意見が多い。そのため、研究機関などがwikiの専門学のページを編集するチームを作ることも。

日本語版ウィキペディアの記事は90%がアニオタ、声豚、萌えフォビア、性に飢えた野獣共のウィキペディアンによって編集・閲覧されているという異常性。もはや記事の信憑性など皆無に等しいだろう。

また、日本語版独自の特徴として、特定のユーザに対するコメント依頼を提出したユーザが、その議論の途中で過去にブロックされたユーザのソックパペットとしてブロックされ(もちろん証拠などない)、依頼が宙に浮いてしまう現象が多々見られる。一部ではこれをチェックユーザ機雷と呼ぶ。

ウィキペディアン達の終わらぬ戦争[編集]
詳細はウィキペディアンを参照。


人材募集中
ウィキペディアでは日夜激しい論争が巻き起こり、それは「闘い」と形容して何ら差し支えないものとなっている。意見の食い違う利用者が現れた際、彼らウィキペディアンの脳内に「理解」「協調」「融和」「妥協」という選択肢は存在しない。その根拠は自分で見聞きしたものではなく、出典があること、つまりそれがどこかのウェブページに記述されているか否かである(腰パンのノート・編集履歴やオタ芸を参照)。記述があるウェブページが存在しない場合は容赦なく消される(出入り禁止や飛び乗り (放送) ・ 飛び降り (放送)を参照)か、(以後は#ウィキペディアと病参照)。甚だしい場合は、当人の気に入らない記述であれば、出典があるにも拘らず消される(「渡り廊下走り隊」の編集差分)。逆に、気に入った記述は何度消されようがリバートして残す。その瞬間、自身に異論を唱える者全てが「敵候補」となり、ウィキペディアン達は臨戦態勢に入るのである。

しかも彼らの闘いは罵詈雑言が飛び交う高レベルのものが多い。 この事は“「馬鹿」と書かれたノートが1000件もある”事からもわかるだろう。検索機能を使えば、「頭が悪いならわざわざwikipediaで活動しようとか思わないで下さい」とか「本当にIPユーザーは馬鹿が多いですね」とか「私たちの慶應義塾大学 偉大な先輩に対して、小馬鹿にされた表現として それを受け止めます」といった知的なやりとりをいくらでも発見できる。

意見の食い違う編集者とエンカウントしてしまったものは、まず相手を刺激しないように「(挑発を交えた)対話」、もしくは「威嚇」「威力偵察」を行う。戦わずに自分の意見を通せるならそれでよし。しかし相手が引き下がらなかった場合に備えて、相手がどの程度の知能・話術・経験のある編集者なのかを見極める。そしてこの状況で「論争がおきずに事態が終結する」というケースはほぼ皆無であるといっていい。そのような場合は、はじめからどちらかの意見がよほど無理のあるものであった場合だけだ。

そして言わずもがなであるが、自身の意見や編集を否定されるという行為は、編集者にとってかなり腹立たしいものだ。なかには自身の存在を丸ごと否定されたような気持ちになるものもいるであろう。そもそも少なからぬウィキペディアンはウィキペディアの編集を余暇としてではなく、私生活を犠牲にした無償の長時間奉仕として行っている。彼らにとって、ウィキペディアこそが生活の本拠なのである。自身の編集は「ウィキペディアンたる自分の存在の証」。それを消される・否定されるということは、彼らにとって人格が否定され自分の命を脅かされることと同義である。つまりウィキペディアン達にとってウィキペディアとは息抜きの公共サイトではない。まごうことなき戦場なのだ。

アンサイクロペディアの平和な世界[編集]
しかし本サイト、アンサイクロペディアに置いてこのような傾向はまったく見られない。ノートでの話しあいはめったに見られず、利用者達の間に流れる空気はとても穏やかで弛緩したものだ。たまに文句を飛ばしてくる少数派がいるが、そんな少数派を力で強引に捻じ伏せたところで、ウィキペディアのように野党気取りのユーザーが「越権行為」と騒ぎ立てる事も無く、誰も気にしない。ウィキペディアが常時、内戦状態であるのに対し、ここアンサイクロペディアは隣国の戦乱などまるでどこ吹く風。凪の風情である。異なる見解の存在を認め合う、自由主義の気風が健在。

ウィキペディアアンサイクロペディア。共に辞書サイトであり、いわば異母兄弟の関係に当たるこの2つのサイトは、その趣をまったく異にしている。なぜか。

……理由をウィキペディアンはこう答えるだろう、「アンサイクロペディアは不真面目なサイトだから」。たしかに一蹴できない意見だ。ウィキペディアがルールと規則でガチガチなのに対し、アンサイクロペディアの不文律はただ一つ、「面白けりゃ、何だっていい」。

より本当らしく見える「ウソ」を、綺麗に丁寧に作り上げる。本人は非常に満足しているところに、「それはなんかダメだ、こっちにしよう」ともとあった自分の作り上げたものを叩き壊して作り直す、他人。いうなれば、ウィキペディアとは大きさが限られた公園の砂場なのだ。自分が作り上げた砂の城だからといって、その城をそのまま保存しておく権利は自分にはない。なぜならそこはみんなの砂場だからだ。言ってしまえば、彼らは独りよがりなのだ。編集者達の頭の中に、自分の編集を見る人間の存在はない。綺麗な城を作り上げて、自分が満足できればそれでいい。他人なんか関係ない。

……おとなしく観賞できないなら、それどころか自分の城を壊そうとするならば――

あぁウィキペディアン[編集]
『お前達など追い出してやる!! ここは俺の砂場だッ!!!』

この考えこそがウィキペディア、およびウィキペディアンたちの本質なのだ・・・。自分の表現と他人の表現がかち合うのは、どこの宗教でも宗派争いとして存在している。はたから見れば両方バカなのだが、やっているもの同士は至極マジメ、その結果、たかが一記事の編集方針の話し合いに10万バイトもの無駄な労力を費やす姿こそ、人の皮をかぶったウィキペディアンたちの本来の姿なのだ。 それにたいして、アンサイクロペディアは他人のためのサイトだ。他人を笑わせ、他人を楽しませ、時には他人を怒らせる。そのためのサイトだ。砂の城は自分だけで鑑賞して陶酔することが出来るが、いくら面白いネタを思いついても自分ひとりだけのコントショーなどつまらないことこの上無い。アンサイクロペディアとは、自分以外の他人がいないと成り立たないサイトなのである。記事の書き手は読み手を笑わせようとし、彼らが笑いで返してくれたならば、自身はもっと幸福な気持ちで満ち溢れる。内容についてぶつかることがあっても、笑顔か、もしくは苦笑しつつも調整、数万バイトもの話し合いはそれ自体が笑いの源泉として有効利用されるように、笑いが笑いを呼び、幸福が幸福を呼ぶ。この上なく理想的な循環を生み出すのだ。

ウィキペディアの煉獄を嘆くウィキペディアンたちの心の叫び[編集]
恐怖が悪意を生み、悪意が敵意を産み、敵意が殺意と暴力と死体の山を次々と膿んでゆく。そして殺意と暴力と死体の山が恐怖を熟む連鎖を繰り返すウィキペディアよ。ウィキペディアンにとって他人とは、いつ自分の編集を脅かすかわからない外敵であり、自分以外の編集者はすべからく「仮想敵」なのだ。その戦いと悪意の連鎖から抜け出したくとも『自分の編集が改変されているのではないか?削除されているのではないか?』という強迫観念で他の利用者たちを縛りつけ、自身の編集を防衛するという大義名分の下、その防衛本能を巧みに他者への攻撃性へと転化させられる。だれであろう、ウィキペディアによって。

そう、ウィキペディアとは息抜きの公共サイトでも、善意の活動場でもない。事典ですらない。ウィキペディアとはそれらの体裁を巧みに取り繕った戦争拡大システムであり、ネット上に現出した、紛う事なき地獄なのだ。

この煉獄に、今も多くの人間たちが囚われ続けている。そのシステムの外からならば、我ら虜囚たるウィキペディアンの住む世界を俯瞰することができるだろう。自らの意思を手放し、システムの悪意の流れに身を任せるまま争う醜さが。その悲しさが。『本当は傷つけたくなどない、理解しあいたい』。そう嘆く、我らウィキペディアンの心の悲鳴が。そしてそれを消し飛ばすほどの、他者と世界へ向けた憤怒と怨嗟の絶叫が。

彼らを真に開放する手立ては、未だ存在しない。ウィキペディアンたちは救われない。彼らが自ら自身の心の醜さに気付かない限り、いつまでも。

ウィキペディアが滅ぶ、その日まで……。 Wikipedia. Wikipedian...... : )

偉大なる管理者様[編集]

ウィキペディアの旧ロゴ。脳みそぎっしりのウィキペディア
詳細は管狸者を参照。

しかし考えてみれば、確かにウィキペディアの姿勢はアンサイクロペディアと比べて惨憺(さんたん)たるものであるが、彼らの理念である「世界を堅苦しい表現にあふれさせること」から鑑みると、その行為は全くおかしいものではなく、むしろ目的達成のための当然の行為であるとも言える。


さらに、ウィキペディアの管理者はウィキのいろいろな場所で相手の悪口を発言することが多い。ウィキペディアには他人に対する中傷を禁止するガイドラインが存在するが、完全に死文化しており、この禁則事項が適用される例と言えば、管理者に対する批判を書いた者を「悪質な荒らし」として処分する場合だけである。また敬語で丁寧な言い方であれば侮辱中傷には当たらないと思っている人間が多く、慇懃無礼な振る舞いが横行しているのもウィキペディアの特徴の一つである。

「利用者を相次いで強制ボイコットさせるウィキペディアの管理者たちは非常識な人間としか言い様がない。鑑みると昆虫や哺乳類など、人間ですらない、話の通じない野蛮な畜生共が管理していることが伺える(原文ママ)。そんな連中が管理をしていては、蛮族が跳梁する無法地帯になるのも仕方が無いといえよう。」・・・ウィキペディアに対するこのような賞賛が、その昔、ある歴史家によって編まれている(しかし別の歴史家の言によればこの著者は「蛮族」であるという)。

管理業務いろいろ[編集]
60人近くいるウィキペディアの管理者だが、連帯感は皆無に等しい(全員が個別に独立していて、処置は独断で為される。合議もなく、ある管理者の処置に対して別の管理者が異を唱え取り消し、それに対して再反論がされ論争に発展するといったことも、一切見られない)。

“迷惑行為(=荒らし。但し何が荒らしかは個々の胸先三寸)をしている”と目した特定の加筆者をストーキングしてプロバイダをブロック対象にし、一方で本当にブロックされるべき宣伝行為の繰り返しや悪質な荒らし、どうでもよさそうな事や人物(漫画、地方の無名の会社、インディーズのバンドやそのメンバー、合併で消滅した村、古墳群、交差点やインターチェンジ在日コリアン・在日中国人が関与した犯罪の一覧、声優・俳優・ファッションモデル・学者・起業家の名鑑)の新規項目作成行為にいつまでも跳梁を許したり、削除依頼を長期にわたって何十件も積み残しさせたりしている。一番古いものでは、削除議論開始が2008年5月29日などというネット界においては最早重要文化財級のものも存在する。ちなみに2010年3月現在、ウィキペディアで2番目に古い未終結の削除議論はなんと緊急削除依頼である。子供の「ちょっと」はときに3時間にもなり得るが、ウィキペディアの「緊急」は軽く1年半を越すのである。またほとんどの管理者は古参ウィキペディア中毒者共の手先と化しており、古参の要求は簡単に容れる一方で、ウィキペディアン達の申し立ては何だ、かだと。理由を付けて却下している。

そもそも常識的に考えて49人で足りるわけがない(項目は80万以上。つまり一人当たり10万項目、その内容の適否をチェックしなければならないのだ。出来るわけがない)。加えて、全く権限を行使しない並び大名がいたり、行方不明になったまま帰ってこなくなる管理者が居たりして、管理の基盤は瓦解しかかっている(しかも自動退任審査に掛けられたとたんに擁護する管理者まで現れた。こいつらによれば、本人所有のボットが動いているから管理者でい続ける資格があるという)。たまに管理者に立候補する殊勝なウィキペディアンもいるが、選挙となると自称ベテランユーザーが登場、難癖を付けて反対票を投じ、さらに付和雷同的に反対票を投じる削除依頼や投稿ブロック依頼に常駐するタイプの自治厨も多数いるため、管理者はなかなか増えない。

あわせて、ウィキペディア自体、ウィキメディアと呼ばれるプロジェクトの一環であり、ウィキペディア以外の様々なプロジェクトが世界で同時進行されているにも関わらず、ウィキペディアの管理者はそのことに気づいていない。そのため、ウィキメディアのプロジェクトの一つ、日本語版ウィキバーシティの美しき赤リンク群は、世界に誇る日本の知の裏側に存在する世界から隠された日本の恥部として、いつまでもその姿をさらしている(ついに2013年10月、閉鎖が検討されている事が判明した)。このことは、本来であるならば最も権限を持つ管理者が率先してなんとかせねばならない課題であるにも関わらず、ウィキペディアは己の小宇宙に閉じこもったまま、ひたすらに肥大と増殖を続けている。

ただし、管理者は意見が合わない・若しくは自分の一存で、特定のウィキペディアンを追放する(検察官にして一審制裁判の裁判官である。しかも任期は無期限で一旦就いたら行方不明にならない限りクビにはされない。どう見ても本人の主観・偏見によるとしか思えない追放を弾劾・監査する制度もない)が、追放後も逃れる方法はひとつある。それは自作自演をし、直後に別人を装うこと、簡単に言うと自作自演後に「これを書いたのは同じネットワーク回線を使う同僚だ」と主張することである。実際、それで追放されたウィキペディアンが一度は復帰した例がある。

このように、ある場所を管理し続けていく人間にとって大事なことは、目の前の課題を片付けること以外に、足元のお留守をナントカしなければならないということである。海外との交流などはウィキペディアにとって些細なことであると管理者が考えているようだと、ふとしたきっかけで世界中に恥が拡散することにつながり、その結果、日本人はアニメやマンガ、エロゲの項目ばかり編集するオタク民族という事実が世界にばら撒かれている(日本語版にも存在すべき記事―例として米国愛国者法の、正確な日本語訳―はいつまで経っても作られず、逆に日本語版にしかない、つまり他言語版にリンクできない記事ばかり量産されている)。

このような大局的な視点を持たないかぎり、「ウィキペディアの管理人」は、その歪んだ王国の「偉大なる管理者様」としてネット界から上記のように常なる賞賛の中に埋もれていくのだろう、世界から取り残されて。

ウィキペディアの中立性[編集]
ウィキペディアでは、その編集内容に応じて利用者同士が話し合う場面がよく見られる。話し合いで済むならばいいのだが、往々にして、その信仰についてを延々と論ずることになりがちなのもウィキペディアである。

そして、立場の違うものが衝突した場合にその結果を左右するのが、工作員の数×ユーザーアカウント数の合計となる仮想員数、そして自らの信ずる理念に従う仲間との結束、最終的には根気と編集に割ける時間数が勝負となる。あわせて、管理者はネオコンにしてネットウヨ2ちゃんねらー、排外主義者であり、なおかつ管理者本人の信仰に沿って行動することが義務付けられているため(逆らえばプロバイダレベルでストーキングされ出入り禁止となる)、もし記事の中立性を保ちたいならば、リベラルなボランティアの数を、管理者一人当たり最低99人集めること必須とされている。そして、それを無視することも管理者のノルマとされている。


このような罠が仕掛けられる
なお、それらの記事の作成過程は、まず始めに、管理者が通りすがりのネットサーファーをも挑発するタネ記事を作成し、たまたま記事を見てしまったがために狼狽したリベラルなネットサーファーが管理者に立ち向かい戦いを挑んだ結果、記事のノートで弄ばれ、時間と労力をかけ衰弱し、多くのボランティアとなって記事の修正・肉付けするすることでようやく記事ができあがったとしても、通りすがりの意見はまるで無視されることになる場合が多い。

このように、リベラル派を釣ることを管理者の間の俗語で"ネズミ捕り"と呼ぶ。

一方で同じネオコンに属する通りすがりのネットサーファーが記事の編集に参加する事態が発生した場合には、管理者の人集めのノルマはさらに増大し管理者にとっては嬉しいやら悲しいやらの状態となるという。ウイキペディアの目的は「参加することに意義」があると言われているように、中立な記事を作成するための過程が大切とされ、立場の違うものがお互い全力を出し切って戦い、「お前もなかなかやるじゃないか」「オマエモナー」、と最後は川沿いの土手の上の草むらに倒れて笑顔でお互いの健闘を褒め称えあうのが理想とされており、最終的には記事の中立性よりも大切な美徳とされている。そのため、同じネオコンに属する人間同士の編集は、自分は独りではなかった、自分はこの世にいていい存在なのだと、再確認する機会になり、管理業務に邁進するためのエネルギー補給になるのである。

中立性が揺らぐと書き込む人間が増える[編集]
このように、日々増殖するウィキペディアの内実は、リベラルな通りすがりのネットサーファーのハートを飛び出させるようなインパクトのあるタネ記事をいかに作れるかという管理者の力量がまず問われる。そして、次に問われるのはアメとムチをうまく使い分けて、通りすがりのサーファーの心を折らないよう、彼に味方するボランティアのやる気を出させる技術。最後に、ウィキペディアの真髄であり、建前でもある{{中立性}}という免罪符をペタリと貼る、正確に言うならば、「この記事は偏っている」系のテンプレートを引っぺがすことで、記事は完成する。

これらの「偏ってる」系テンプレートは、ウィキペディアにおいて、通りすがりのネットサーファーたちが実情が違っていること読者に示せる最終手段であることが多い。実際、中立性はあくまでもウィキペディアの最終目標であるため、目標に向かう過程においてボランティアを参加させ続けるためには、どうしてもボランティアを挑発し続けざるを得なくなる状況も散見される。そのため、ボランティア同士の交流では、双方の立場の違う者同士が切磋琢磨して記事を仕上げていく建前を忘れた宗教論争の場と化すことも多く、その際、ネオコンの管理者は敢えて中立とならずに人知れずヒール(嫌われ役、悪役)を買って、一方的に弱者をいたぶる=論争をあっという間に帰結させることで、多くのボランティアから賞賛を得ている。もちろん、怒りと不満とやるせなさも残る。しかし、結局のところ、管理者と一方の勝者たちが一段落という結末に酔いしれることに変わりなく、勝った側は誇りとやりがい持ってウイキペディアの編集に当たり、管理者はそ知らぬ顔で次の論戦へと向かう。この一方的な流れこそ、ウィキペディアの駆動力といえる。

戦いすんで日が暮れて[編集]
なお、ネオコンの管理者との戦いに根負けして神経衰弱になったり廃人と化すリベラル派も後を絶たない。もっとも、常時書き込み続ける人間も神経衰弱を患っており廃人である。同じ穴のウィキペディア中毒。そのため、ウィキペディア被害者の会が新たな被害者を救うための更生プログラムが各地で始まっている。このプログラムは「リセット」と呼ばれ、ウィキペディアにはアクセスできないPC環境を用意して健康的なネットサーフィンを学び、社会復帰を目指すとしている。動物とのふれあいやカウンセリング、正しい生き方を学ぶための道徳教育も用意されている。なお、これらのプログラムを修了しないまま、ウィキペディアに似たサイトをめぐる被害者も多く、中にはアンサイクロペディアにやってくる人間もいる。ウィキペディア被害者の会によると、ウィキペディア利用者の15%~25%が廃人と化し、それらの多くの人間がアンサイクロペディアにも来訪していることが分かってきており、特に、ウィキペディアにおいて真面目に記事を修正しようとする人ほど他のサイトへ与えるダメージも深刻だという。このことは、いかにウィキペディアが人の心を傷つけるかを意味すると同時に、サイト内に存在するコミュニケーション能力育成施設が、利用者同士の親睦、およびコミュニケーションの場としてあまり役立たないことを意味している。

ウィキペディアの存在不必要性[編集]
「根本的な方針」の一つとして、「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」という方針を掲げているが、これは甚だ不可思議なことである。

例えば、ある特定の人物が「A」という主題を扱った記事(以降Aと表記)を投稿したとする。このAが改変を受けた回数は、現段階において1回ぽっきりであり、よってこの記事は中立的観点を持っているとは言えないことになる。また、ある特定の人物とはまた別個の人物により、テーゼに対するアンチテーゼの提示をもって記事が改変されたとすると、その記事はジンテーゼを生み出すことになり、ここでも中立的な観点を持った記事は生成されない。

1回の改変でも2回の改変でも中立的な観点を持ったAを生み出せないとするならば、任意の数k回及びk+1回の改変を受けてもAは中立的な観点を持ち得ないことになる(そもそも日本人が、日本語によって表現すること自体が中立的ではない。この場合は他国人により表現される必要がある)。つまり、塵は積もっても塵であり、うだつの上がらない烏合の衆はうだつの上がらない烏合の衆であり、運命の奴隷は運命の奴隷でしかない。

では、ウィキペディアが中立的な観点を持ったAを生み出すにはどうすればよいのだろうか。それには、Aが「0回」改変されればよいのである。即ち「無」こそが完全な中立であり、ウィキペディアはその存在自体が禁則事項でありかつ、ウィキペディアおれは存在をやめるぞ、ジョジョーっ!!しなければならない。つまり、ウィキペディアはその存在と根本的な方針によって自己崩壊を起こしていると言え、同時に、存在不必要性の証明が為されることになる。

ウィキペディアの文化[編集]

これは月じゃない……ウィキペディアはあまりにも大きくなり過ぎている!
ウィキペディアとは、基本的にインターネット上の百科事典の体裁を取ったナレッジコミュニティである。

そこには、稀にしかいないが、単に情報を求めて検索をかけていただけなのに偶然に引っ掛かってしまった善意の普通人の他、編集側には「IPユーザー」と呼ばれる匿名の者や、荒らし・人格障害者・ヒマ人(職の有無は省く)・狂信者・マニア・オタク・自称知識人(自称インテリ)と、また「自分の論文に丸写しする文章を求めて閲覧していたが、その記事内容に不満があった」ため論文そっちのけで記事の増強に勤しんでしまう学生や、出来の悪い学生の成績を少しでも底上げしたいと考えている教授・助教授といった教育関係者(らしき人々)などが関与していると見られる。彼らは、その執筆行為が一文にもならないことを承知の上で、多くの時間を費やしている。

またあるいは、自社の不名誉な噂(ないし真実)が記載されていたため、上司の命令で記事の書き換えを行っている悪徳商法の企業に勤務しているサラリーマン、自社を宣伝したい経営者も関与している様子である(この人達はウィキペディアに記事が存在することがステータスだと思っている節がある)。加えてコンピューターIT関連という今ではお荷物に過ぎない時代の虚栄に勤務する者が、斜陽を片頬に日長浴びながら、実質社内ニート(昔の名称で言う所の窓際族、社内失業者)の実態を隠蔽するために、毎日書き込みにいそしんでいる。

ウィキペディアと露出狂[編集]

中にはこんな破廉恥な要求をする者もいる。本文も非常に詳しく、堅苦しい物となっている。
ウィキペディアは露出狂の宝庫でもある。アクセスが多いことに目をつけてウィキペディアで露出を行う露出狂が後を絶たない。精液の写真や性器の写真が好例だ(それらの写真はCategory:Sexのカテゴリ内に分類される)。ウィキペディアでは記事に関係のある写真であればいかなるものでも掲載は合法だ。そこに目をつけてウィキペディアで露出を行うことを考えた彼らは天才である。もちろん彼らに記事を充実させようと言う秀逸な思考があったわけではない。ただ見せたかっただけである。中には自身の利用者ページに大量の個人情報を掲載しつつこの種の行為を行う猛者もいる。


ウィキペディアと盗撮[編集]

知らない内に、あなたが写った画像がウィキペディアに無断掲載されているかもしれない。
ウィキペディアには大量の画像も掲載されているが、その中にはウィキペディアンが無断撮影した物、即ち盗撮写真が数多く含まれている。既に盗撮魔の間では、「ウィキペディアは世界最高品質の合法的な盗撮サイトだ」と大評判になっており、業界の神様である田代まさしも「もっと早くウィキペディアに出会えたなら、違法行為に手を出すことは無かったのに」と語ってウィキペディアを絶賛している。

駅周辺や駅構内、イベント会場等において遠くから一人で黙々と無断撮影に没頭している人間を見かけたら、ウィキペディアに盗撮写真を掲載しようとしているウィキペディアンだと思って警戒したほうがいい。


ウィキペディアと病[編集]
これらの人々は、雑多かつ求心力を持たないうえ、大多数が理性と知性に欠けていることから、まるで纏まりに欠けた集団であるため、時に一つの記事を珠玉の名文に仕上げたかと思うと、同時進行で他の記事で、良心的な執筆者が時間をかけて作成した文章に集団で乱入して、台無しにしたりして過ごしている。

参考・IMPS(無限猿プロトコルスイート)和訳
酷い場合には、アンサイクロペディアに掲載されているような、極めてヒューモアに富んだ記事を「悪ふざけとナンセンス」であると決め付け、削除(→[1])してしまう。

時折、同コミュニティに属する頭の固い(場合によっては脳味噌の領域まで骨化している)人物の性格を、少しでも社会性を兼ね備えた柔軟なものにしようと、(ややお節介かも知れないが)様々な人間が記事の体裁や内容を変更すると言う形などで焚き付けたりけしかけているが、聞く耳を持たない衆愚により、ブロック(→アクセス禁止)を受けて駆逐されている。また無粋にもブロック依頼や記事の編集禁止を持ち出し、他の関係者を落胆させるプロ市民的な編集者も少なくない。

これと同時に、アンサイクロペディアでもしばしば問題となることだが、ウソを書く人(なおアンサイクロペディアに記載されている内容は、全て真実である)のために、記事の妥当性が損なわれる事である。このため、多くの執筆者が(給料も出ないのに、ご苦労な事だが)それらの訂正に忙殺されており、問題視されている。精神に異常を来す者多数。病気なのに、自分は健全と呼び、健全なものを病人と叫ぶ。ウィキペディアは実質、百科事典を詐称するサイバー精神病院である。

記事についての罵り合いが始まると、すぐに{{要出典}}、{{出典の明記}}(この2つは一見同じだが用法において異なる。「出典の明記」は項目若しくは節単位でしか使用出来ない。「要出典」は文章単位で使用する)、{{未検証}}と判で押した様に脊髄反射で貼り付ける者が現れる。特に気に喰わない修正に対しては、{{観点}}、ソース、{{独自の研究}}と叫ぶ気違いが一斉に出現し、不毛な編集合戦が始まる。こいつらは誰にも頼まれていないのに雑草のように生えてくる(一方で人物や企業、団体の記事に{{特筆性}}、{{宣伝}}や{{大言壮語}}が貼られることはまずない。こっちの方が重要だろ)。

自分の趣味をひけらかすために介入したら最後、ウィキホリック共になじられ、差し戻され、ノートで叩かれ、白紙化される可能性が少なくない。たいていの者は
新着メッセージがあります。 (最新の差分)
の告知と共に、嫌味に満ちた「ようこそ」メッセージや{{ISP}}(プロバイダー晒し)などを「利用者のノート」に自警団によっていきなり書き込まれ、驚き退散するか、無言のリバートなど熱烈な歓迎に嫌気が差し、早々とウィキブレイクするのが定石である。
しかしながら、その時点で脱出したものは幸いである。徹底的に抵抗した場合は、ウィキペディアンを通り越してウィキホリックとなるか、もしくは精神に異常を来たす。この文を読んでいる良い子のみんなは崖っぷちを覗くような真似をしないように!

他の側面[編集]

ウィキペディア本部 - 数多の緑溢れる星々を破壊してきた

ウィキペディアはHなことを考えている。
インターネットでは、関与する機材が、常に最新のハードウェアに置き換わる事で、その利便性が全体的に向上すると考えられている。このため、インターネット上のボトルネックをより高速なものに替えさせる社会的圧力を発生させる、単に大きいデータ(一つの巨大な容量サイズを持つファイルといったものの他に、参照量の多いコンテンツを含む)は歓迎されている。これはその内容が、例え冗長であっても、参照量さえ大きければ問題にされない。

このため「便所の落書き」と筑紫哲也西和彦などの著名人に揶揄されながらも、依然存続している2ちゃんねると並んで、ウィキペディアはアニメ・エロゲ・鉄道・バス・歴史・軍事・兵器など数々のオタクの、無駄できんもーっ☆な戦いの為に間違った情報量の多さや、社会に憎悪と混沌をもたらした事をもって危険視されている。ただ近年では、ウィキペディア自体のサーバー処理能力がしばしばボトルネックとなっており(日本時間23時を過ぎるとアクセス数が増加するのか、エラーが頻発する。また2011年3月から暫く、編集が即時反映されずに平然と直前の旧版を表示するトラブルが起きた)、これの置き換えが望まれている。しかしほとんどのものが寄付に応じないため、(応じられない:勤務実体がなく、失業者か無職者、忌業者がほとんどで、時間的余裕はあるが金銭的余裕がないものがほぼ全員)資金的にハードへの投資は絶望的。執筆者が増えるに反比例して、俺たちが情報量を多くしてやってるんだからサーバー代くらいはそちらで何とかしろと開き直ったウィキペディアンばかりなので、寄付は皆無に等しい。時代遅れになることが目に見えている。まるで新潟県に嘗て生息していた、食べるとうまい鳥のようである。


宣伝サイトとしてのウィキペディア[編集]
公にはされていないが、実際にはウィキペディアは宣伝サイトである。企業、商品名、タレントその他の著名人(実社会かインターネット上かを問わず)、学校、宗教団体など、固有名詞に関する記事には、その対象に都合のいい事以外、絶対に書いてはならないという暗黙の了解が存在する。

Current event marker.png
この項目には発売予定の新製品、提供開始前の新サービス、または放送開始前の番組や公開前の映像作品等に関する記述があります。Wikipediaは宣伝サイトです。都合の悪いことは書いてはいけません。性急な編集をせずに都合の良い部分だけを都合よく記述することを心がけてください。
もしこの暗黙の了解を破ってその企業や学校等の問題点を―たとえ事実であっても―書き込めば、それはたちまち消去され、都合のいい記述に書き替えられてしまい、対象が生きた人間の場合には記事ページに、「嘘を書いてはならない」「個人の宣伝や大言壮語をしてはならない」という本義から完全に乖離した

Ambox content.png この存命人物の記事には検証可能な出典が求められています。当人に都合のいい情報源の提供に協力をお願いします。存命人物の正体を暴くもの・不都合な事象は(不可視文字で「たとえ事実であっても」)すぐに除去する必要があります。
そしてノートページに

この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。本人または所属事務所の公式発表に基づくものと宣伝以外は直ちに除去しなければなりません。隠蔽されている本名や身長、生年、逮捕歴などの真実を残したままにしないでください。(以下不可視文字で「警告を無視して書き加えた場合は無期限でブロックされるでしょう。」)
……以上のようなテンプレートが貼られる(この人物の記事が好例。報道で既に明らかになっているのに、“本人が公表していない”というワケワカメな理由で本名が隠蔽された。たとえ報道記事のソースを添えても認められない。この人物についても、出来ない。果ては、この人物やこの人物については可能な記述が、この人物やこの人物については絶対に許されないというトンデモな状況になっている)。あなたはそれをおかしいとノートページで反論したところで、結局は「民主主義」という名の、数の暴力・圧力に屈することになるだろう。多数必ずしも正義ならぬ事はイラク戦争で実証済みである。

回避方法としては、関連項目にさり気なく書き込む、という技がある。Wikiホリック共がいくら消して回っても、“なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない”(マルコによる福音書)、“おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない”(マタイによる福音書)。

2007年に献金を募る際に使用されたキャッチフレーズ「あなたのご協力のもと、Wikipediaが世界を変革します」とは、「ウィキペディアをロビー活動の場とし情報の流布による世界革命に利用してください。但しお金を払って」の意であり、思想の宣伝サイトである事をも明確としている。まっ、がんばってください。


見事なカーストピラミッド、鬱だ・・・・・・死のう!

新種の振り込めサイト[編集]
ウィキペディアとは、ページを表示する度に700円から10000円の送金を要求し、下部へスクロールしても執拗に要求する新種の振り込めサイトである。自らは寄付・募金と称しているが、それは災害支援、障害者支援、宗教寄進など社会福祉の目的で認められている行為であり、自らのサイト運営費用を執拗に要求する有様はネット乞食と紙一重である。サービスの対価としての硬貨投入、チップ付加、フリーウェア支援などは一般に正当な行為とみなされるが、ウィキペディアの執拗に要求する有様は振り込めサイト、ネット乞食と呼ばれてもおかしくないレベルであり、大多数が無料であるネット上の情報サイトとしては極めて異質である。



仕込み・ヤラセ・捏造の元凶は電通ネトウヨである
2014-09-02 21:15:01
テーマ:ブログ
仕込み・ヤラセ・捏造の元凶は電通ネトウヨである

昨日久しぶりに広告代理店に勤める知人と話をして、世の中を
混乱させている元凶は電通ネトウヨだと確信しました。

知人の勤め先は電通ではありませんが、それでもスポンサーと
その取扱商品のライバル企業を叩くネット工作をさせられて
いるとの事です。

僕が勤めていたころはネットや掲示板が普及する前だったので、
もっぱらスポンサー企業のハッピを着て宣伝の団扇やティッシュ
を配ったりする程度の手伝いでした。

でも今はネットで一般市民を装ってライバルを攻撃するのです。

弱小広告代理店でもそれですから世界一と言われる電通なら
政府の手先となってネトウヨの真似事をするのは朝飯前ですね。

もちろんネトウヨの全てが電通ではありませんが、少なくとも
その一部と化してるのは間違いなさそうです。

元々ネトウヨというのは数種類存在していて、現在判明してる
のは、

・チーム世耕とその雇われ書き込み請負業者
 業者の代表的なもの
 http://kakitarou.com/bbs.html
 http://www.market01.com/bbs_act/

・政府の関係者とマスコミ
 過去に2ちゃんねる顧客情報が流出して判明してこのブログでも
 書いています。

・広告代理店

・純粋に右翼的思想の市民

・単なる野次馬市民

となります。

それぞれが自分の受け持ちを主体に入り乱れて活躍するので
ややこしいのです。

ただ最終的には野次馬以外、政権を維持させる方向性は一致
してるようです。

野次馬は自ら「便所の落書き」と認めているほど無害なものです。

今で言えば集団的自衛権憲法改正、そして増税原発稼動
させるためなら噂だけでなく現実まで作り変えます。

そのためネット世論を常に監視しているのです。

例えば

デング熱感染経路がなぜ代々木公園と特定できるのか、また、
原発の集会を阻止するために代々木公園を封鎖するのでは?と
いう疑問がネットで囁かれだすと、大阪や青森あたりの感染者
を増やしましたね。

ご丁寧にデング熱出血熱の危険性まで報道されています。

前にも書きましたが、あちこちのブログや掲示板で起きている
事への疑問や仮説が立てられると、数日以内に「そうじゃない」
のではないのかと思わせる現象が起こるのです。

しかし代々木公園は、今後1週間ごとに消毒するらしいので
今月末の講演集会は事実上無理でしょうね。

それに加えて今回の件で、政府は市民の安全を良く考えている
という印象操作も出来ます。

また日曜日の「24時間テレビ」の批判についても、色んな事が
暴露されるたびに即、火消しのコメントをあちこちで見かけます。

これは広告代理店の仕業です。

「24時間チャリティーマラソン」に実際出くわし、その裏側
を暴露した人も現れました。
http://n-knuckles.com/media/tv/news001653.html

この男性は、テレビ中継の2日間は強制的に休まされ、変わりに
テレビ関係者が警備員の制服を着てランナーに手を振って応援
してる姿をテレビでみたそうです。

これはどう見ても行き過ぎたヤラセでしょう。

しかしネットでは暴露した男性が批判されると言う異常な現象が
起きました。

もちろんテレビ関係者とネトウヨに成りすました広告代理店の
社員が工作したわけですね。

テレビ局を擁護するネトウヨというのも非常に珍しいです。

こうしたわけのわからない連中の先駆けとなったのが官房副長官
世耕弘成です。



ネット検索で物知り気分は危険?

アメリカ心理学会のサイトに、「ネット検索をしていると、実際よりも自分が知識豊富だと錯覚することがある」という研究結果が掲載され、ネット上で話題となっている。

エール大学のマシュー・フィッシャー氏らの研究チームは、ネット検索を使ってもよいグループとネット検索をしないグループに被験者を分け、簡単な4つの質問を提示。それから4つの質問とは無関係な質問をしたところ、ネット検索を使ってもよいグループのほうが、そうでないグループよりも「自分はその質問に対する知識がある」と自己評価した。

研究チームは、インターネットで検索した人は、自分が多くの知識を持っていると信じてしまうと分析。「“知っていること”と“知っていると思うこと”の区別が曖昧になる」と結論づけている。また、探していた情報を見つけることができなかった場合でも、ネット検索の後は、自分が“賢く”なったかのような感覚を持っていたそうだ。

研究チームによると、スマートフォンが普及し、いつでもネット検索ができる環境にある今、この問題は悪化している可能性があるという。そして「大きな結果を生む決定をする場合には、自分の持っている知識を区別し、実際は“知らない”ことについて“知っている”と思い込まないようにすることが重要」と締めくくった。

この研究結果について、ツイッターには

「たしかにそれはある」
「ネット検索で見つけたデマをそのまま信じる人がいるのはこれが原因かも。自分も気をつけよう」

と、共感する声が投稿されている。だが、その一方で、

「逆に皆賢いような気がしてやりづらいんだよなあ、ネットで検索して分かることは誰でも知ってるんじゃないかって思ってしまう」
「わしなんか学が無いことを充分承知なので、検索する度分からないこと多いなぁと逆にヘコむ」

と、反対に“自分が知らないことの多さを思い知らされる”という声も。「大事なのは無知の知」(※知らないことを知っていると思い込むより、知らないことは知らないと思うことのほうが優れているという考え方)というつぶやきもあり、まさしく…といったところかもしれない。



ネットビジネスのサイトはステマだらけ?「安全もどき」サイトにご用心!

給料だけでは生活費がままならなくなり、
自宅の副業としてできるネットビジネスに
スポットライトが当たっています。

でもネットビジネスのサイトが、ステマ的で
どうも安全には見えない。
新しい一歩を踏み出せない・・・。

ホントにステマだったら、怖いですよね。
一体どうなってるの?


ステマ的サイトがネットビジネス探しを混乱させる?


ネットビジネスの宣伝では、ギラギラした
特設サイトで大々的にPRしているものも
あります。


こうした類のものは、お金持ちの視点で
書かれていて、「初心者でもできる」と
言いながら、非常に難しい言葉が使われて
いたりするのが厄介です。


だけど、コレとは別の意味で厄介なのが
ステマ的なネットビジネス宣伝サイト。


ステマとは、ステルス・マーケティング


部外者になりきって、遠回しに勧誘する
マーケティングのこと。


このサイトならば安全かな・・・と思い、
ついていったらこうなった」という
パターンになったらみじめですよね。


こんなことを思ったら、ますますどうやって
副業に目星をつけようか迷ってしまいます。


疑心暗鬼ゾーン、突入です。
笑えませんよね。

a0011_000323.jpg

結局のところ、安全なもの突き詰めればキリが・・・


じゃあ、何だかんだ言って、
どのネットビジネスが安全なの?


ネットビジネスをしている方からしたら、

「そりゃもちろん、ウチのビジネスだよ!」

と伝えたがるでしょう。


逆にネットビジネス反対派だったら、

「こんなものに手を染めないで、
ちゃんとパートなどで仕事して稼ぐのが
一番確実だよ」

と伝えたがるでしょう。


そう、結局のところ、安全なネットビジネス
とは何なのか、もしもあれやこれや突き詰め
られると、キリがありません。


収入増やすと決めたなら、就活時代に戻れ?


ちなみに私ですが、今のネットビジネスが
安全なのかどうかは、入ってみないと
わかりませんでした。


入る前から安全かどうかを見抜くだけの
目も持っていなかったと思います。


当然、ステマという言葉すらも知らない。


まあ1年と11ヶ月も前のことなので
あまり入った経緯は覚えていません。


だけど、これだけははっきりと言えます。


ネットビジネスで、自宅で副収入を得て
いきたいならば、安全かどうかが
一番大事ではない、ということです。


自分が収入を得た後に、どうなりたいのかが
一番大事だということ。


就活時代の自己分析みたいに、ジブンって
どんな人間なのかを前もって考える。


それから、アフィリエイトやオークション
など、自分に合ったものをチョイスして
成功すると決断してやっていく。


こうすれば、最後には成功するのだと
思います。


もっとも、「入塾」とか、いかにも高い
入会金などを払い、抜けられそうにない
ものは、さすがに私も遠慮しました。


このあたりも考えてみるとよいでしょう。



ネットは詐欺ステマだらけ本物の情報はどこにある? [Kindle版]

内容紹介
 最近インターネットの普及にともなって、企業などが宣伝目的で【ステマ】広告を仕掛けていることが多くなってきています。

 今この瞬間にもあらゆる場所で【だます側】と【だまされる側】の見えない戦いがインターネット上で繰り広げられている世はまさにネット戦国時代!!!

 あなたも、もしかしたら知らないうちに敵の罠の【ステマ】によって【だまされる側】の立場に陥っているのかもしれません。

 この本を読んで、企業が仕掛けた【ステマ】によって【だまされる側】の情報弱者の奴隷の立場からさっさと脱け出して、情報の渦の中で【ステマを見抜いて、本物の情報だけを目にする側】になって情報強者の天界人の視線でインターネットの世界を思う存分に楽しんじゃいましょう☆彡

   目次
〇 【正直な広告】と【詐欺ステマ】の違い
〇 企業からお金をもらっていることを隠す【詐欺ステマ
〇 アフィブログと呼ばれる「まとめブログ」は広告記事
〇 アメリカでは【詐欺ステマ】発覚で150万ドルの賠償金
〇 芸能人や有名人ブログの【詐欺ステマ】事件
〇 【本物の情報】である【真実の意見】はどこにある?
〇 ネットは詐欺ステマだらけ本物の情報はどこにある? まとめ


【読んだ】ネットは"ステマ"、既存メディアは"クリーン"って元電通マンが言うか…「メディアの苦悩 28人の証言/長澤秀行」

ステマ」をしているのはネットだけ?

この本の第1章の書き出しは「ステマ問題を忘れるな」という見出しから始まります。

まずはちょっと身近な例から、ネットの危険性を考えてみましょう。今から1年半ほど前、2012年末-。
ステマという言葉がメディアを騒がせました。芸能人が、特定のサイトや商品を自身のブログやツイッターで宣伝する。問題は、スポンサーサイドからさまざまな特典を受けながら、それを明らかにせずに宣伝していたことにありました。

(中略)

通常、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌では、スポンサー発の情報は「広告である」とはっきりわかるように表現されており、記事や番組などと、きちんと区別してよむことができるようになっています。

「ネットのステマは危険でけしからん。既存メディアはそんなことしてこなかったぞ!」ということですか。

…ん?

ドラマで登場人物が着ている服、衣装協力でメーカーからタダでもらって、小売店で「あのドラマの主人公が着ている服です!」って売ってませんか?エンドロールに「衣装協力」って小さく入っていればステマには当たらないのかな?

音楽番組に新人アーティストが初登場!裏でいろんな力が働いて、お金も動いてますよね?新曲のスポットCM出してもらう代わりに番組でプッシュしますよね?「期待の新人」って期待してないのに言いますよね?

海外ロケ番組で冒頭に飛行機のインサート映像入れて、飛行機代安くしてもらったりタダで乗ったりしますよね?

…まあ音楽やドラマ、バラエティー番組はいいとしましょう。

ニュースでイベントを紹介するときありますよね「◯◯ショー、初日◯万人で大盛況」って。あれ、自社主催だったりグループ会社のイベントを優先的にとりあげますよね?

イベント会場の運営室で、「今日のお昼のニュースで取り上げてもらえるように頼んどいたから、もうすぐ出るよ!」って偉い人に言われてみんなでテレビを見上げてましたよ。

それからお天気などの中継で「今日オープンした話題のスポットからお伝えします」ってやりますよね。カメラの後ろにその施設の広報と局の営業担当と代理店社員、いますよね。広告ですって言いませんよね?

ネットのステマ、もちろん良くないです。

でも、既存メディアも散々やって来たし、今もやってるじゃないですか。パブ中継の予定表、営業に提出してましたし、代理店さんとも共有されてました。放送でこれがタイアップだなんて1回も言ったことないですよ。現場では代理店さんに「ありがとうございます」って言われてましたよ。

長年電通にいらっしゃった長澤さんはご存知ですよ……ね?

既存メディアも「パブリシティ」というステマをやってきた、しかし、近年ネットに氾濫しているステルスマーケティングには悪質なものが多すぎる。これではネットメディアは信頼を築けないし、未来はない。

みたいな書き方だったら良かったんですけど、

我々は長年きっちりやってきた。それなのにネットはステマだらけでけしからn(キリッ

と言われちゃうと、少なくともボクはマスコミにいた8年半でステマを山ほどやってきましたと言わざるを得ません。
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ですが、最後まで読むとこの本は「情報を読み解く力」についても多く論じています。
「簡単に世論統制ができてしまいかねない危険な状態がある」――橋元良明氏(東京大学大学院情報学環教授)

「情報に接しているだけでは、メディアリテラシーは身に付かない」――菅谷明子氏(ジャーナリスト)

まとめサイトだけを見て、すべてを読んだ気にならないでほしい」――田端信太郎氏(LINE株式会社法人ビジネス担当役員)

きっと、「お前はこの本の書き出しを疑ったか?メディアリテラシーを磨け!」

という長澤さんからのメッセージだったに違いない。おそれいりました。

アリアナ・ハフィントンさんのインタビューが直訳すぎて何言ってるのかわからないけど、他27人のインタビューは読んでおいて損はないのでメディア関係者は読んだらいいと思う!


尊師坊や @HasseKARAKORO Sep 14. 言うてネットなんてステマだらけなんやしなぁ・・・


『ネットのバカ』…99.9%はクリックする奴隷

なかなか刺激的なタイトルと帯の見出しに惹かれて買ってしまい、昨夜ブログも書かず一気読みしました。

博報堂社員でネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎氏が書いた前作『ウェブはバカと暇人のもの』の続編です。
『ウェブは…』は2009年刊行の著書で、当時ブックオフにも何冊も並んでいたのですが、とうとう買わず仕舞いでした。

しかし、今回はちょうど『ローマ人の物語』に疲れたところだったので、“やわらかい”ものを…という気分にピッタリ、私には珍しく今年7月発刊のまさしく“新書”に手が伸びたというわけです。

そんな“刺激的な”帯の見出しは次の通りです。

◆金目当てにステマをやる芸能人
◆課金ゲームに大金をむしられる中毒者
◆レイプ犯を擁護して大炎上した大学生
◆来店した有名人情報をリークする店員
陰謀論に飛びつく“愛国者
◆ネットで一攫千金を喧伝するエヴァンジェリスト
◆ネットの論理を理解せずに不興を買う企業

…このバカだらけの海をどう泳いでいくか?

まるで芸能週刊誌の見出しのようですが、私のようなネットバカにはなんとなく理解できる中身です。

まぁ、とにかく日本のネット事情に詳しい方でして、本格的にネットが普及し始めた2000年代前半辺りからの変遷を紹介しているわけですが、本書では主に前著『ウェブはバカと…』(2009年発刊)以降の4年間について書いています。

“ネット中毒”と自分でも認めている著者ですが、得てしてこの手の本は、ユーザーサイドの目線による、ネット事情の紹介だけで終わってしまうものです。

しかし、本書の良いところは、ネット中毒者でありながら醒めた目で、今のネット社会を俯瞰しているところ。

私もダイヤル回線の頃からのネットユーザーでして、一時は間違いなく“中毒者”でしたから、凄く共感する部分の多い本でした。

とはいえ、著者のような情報通ではもちろんないので、ネット上で起こった様々な事件(?)など、昔懐かしのものもあるものの、ほとんどは「へー」と、そのバカさ加減に感心しながら、面白おかしく読ませていただきました。

そんな本書について、いつものように私の読書メモ代わりに紹介してみたいと思うのですが、要約の苦手な私のこと、ついつい長文になってしまうので、2回に分けて書いてみることにします。

まず、本日は序章、終章含めて全10章のうち、サブタイトルの「99.9%はクリックする奴隷」について書かれた序章~第3章までをご紹介。


◆序章 「ネットが当たり前になった時代に」

まず、この4年で大きく変わったのは、もはやネットは「ごく当たり前のもの」という時代になったこと。

ネットが一般的なインフラになり、これなしでは仕事も生活も成り立たなくなりつつあるということです。

ただ、時代が変わっても、そのツールが古臭くなったら、発言に責任を持たぬまま、さっさと次のツールに熱狂する、という光景は変わらないと言います。

ネット上ではこれまでも、様々ないざこざが起こってきましたが、ネットが当たり前になり「人口」が増えれば、さらなるカオスを招くことは間違いないだろうと。

そこで、「当たり前になったインターネットで私たちがどう生きていくか」を考えるにあたって、知っておくべき2つの真実を挙げています。

①勝ち組は少数派

②勝者が総取り

これを著者は、ネットの世界に限らず人間の有史以来変わらない「定理」だと言っています。

これらを無視したままネットの世界を信じていると、搾取され続けるどころか、誰かが唱えた「一発逆転」を狙って人生崩壊、あるいは金銭的被害を受けないとも限らないと警告します。

そんな著者は、次の4つの姿勢に基づき、この4年間のネットでの事象について論じていきます。

◇ネットに関する基本4姿勢

・人間はどんなツールを使おうが、基本的能力がそれによって上がることはない。

ツールありきではなく、何を言いたいか、何を成し遂げたいかによって人は行動すべき。ネットがそれを達成するのに役立つのであれば、積極的に活用する。

・ネットがあろうがなかろうが有能な人は有能なまま、無能な人は無能なまま。

・1人の人間の人生が好転するのは人との出会いによる。


◆第1章 「ネットの言論は不自由なものである」

「ネットほど発言に不自由なものはない」

雑誌では通じる発言も、ネットでは過剰な反応から炎上したり、「正論」の盲点を突くような発言は許してもらえない。

また、SNSの普及により、ブログ界以上にネットリテラシーの低い層が増え、バカらしい事象が次々と起こるようになってしまった。

ツイッターは「バカ発見器」とまで呼ばれるようになった、と。


今夏話題になった「悪ふざけ投稿」

「立教大生レイプ擁護事件」や、帯にもあった「来店した有名人情報をリークする店員」他、様々なネットでの騒動を挙げています。

これは一般人だけの話ではなく、ちょっとした発言で叩かれ、ツイッターをやめることになった芸能人を何人も紹介しています。

ただ、逆に芸能人の場合、トラブルめいた事態に陥っても、対応さえ間違わなければ、膨大なフォロワーに擁護されて、事を優位に運べるという事例もいくつか紹介しています。

これをもって、「フォロワー数は戦闘力」であると言い、あくまで現実世界での知名度、影響力がそのままネットでも反映されてしまうのだと言っています。


260万以上のフォロワーを持つ有吉弘行twitter

そんなネットでの「階級社会」は、現実世界より厳しいとも言っています。

ネットで一般人が「成り上がる」のは、「可能性は低いがゼロではないという程度」だそうです。

一般の人たちの消費は、そのままごく一部の勝者のカネになっていて、ネットとはカネが渦巻く世界なのだ、と。


◆第2章 「99.9%はクリックし続ける奴隷」

ネット上のツール、例えばSNSの世界では、最初は一部のマニアや先進的な人が飛びつき、一時的に有名になったりするものの、結局は「有名人」や「芸能人」がそこに参入してきて、場を支配してしまいます。

基本的にネットの世界ではこのストーリーが繰り返されているわけです。

2004年頃からブログが爆発的に普及し始めると同時に、「アルファ・ブロガー」(トップクラスの人気ブロガー)なる言葉が生まれ、企業のプロモーションの企画書には、必ずアルファブロガーのリストが列挙されました。

この頃までは、インターネットは完全に「個人」のものでした。

しかし、企業が見た目の良いコンテンツ(リッチコンテンツ)づくりに血眼になっているのを尻目に、楽天等のネット販売サイトがひたすら「ワケあり明太子、95%オフ!」と扇情的な言葉を並べ、デザインもへったくれもないようなバナー広告を大量に投下し続けました。

どちらの手法が有効だったかは、言わずもがなでしょう。

ネット広告と時を同じくして、ブログの世界ではアメブロが参入、“ブログの女王ココログ眞鍋かをりや、ヤプログ中川翔子の人気に目をつけ、芸能人を囲い込んでPVを稼ぎ出します。


現在はlivedoorでブログを書く“ブログの女王眞鍋かをり

芸能人の影響力は凄まじく、先のアルファブロガーのPV(ページビュー)をあっさり超えてしまうわけです。

芸能人も戦略的にブログを利用するようになるわけですが、その後これが企業のプロモーションと結びついた「ステルスマーケティング」※を生み出します。

※広告であることを隠して宣伝すること

ステルスマーケティング(ステマ)は、ブログからツイッターの時代になっても行われていますが、Sランクの芸能人ブロガーだと、記事1本で200万円、2本で300万円もらえるそうです。

ブログにしろツイッターにしろ、忙しい中芸能人がそれに手を染めるのは、突き詰めれば「カネ」と言うことです。


ステマがバレて派手に報じられたほしのあき

しかし、有名なペニーオークション事件等、ステマが暴かれた芸能人も多数出ています。

それにしても、こうした有名人の言葉を信用してしまう「カモ」は、ヤフー調査で4割にも上るそう。

賢明な人から見れば「バカじゃねーの?」と思うような話であっても、世間の4割はこの程度の認識なのだと言います。

結局、「影響力」には知名度による格差が生まれ、それは一握りの有名人がトップに君臨し、ほぼ全体を占める一般人に影響を与えるという、ピラミッド構造なのだということ。

そして、われわれ一般人の1クリック、1いいね、1RTはすべて強者をより強者にするために使われているのだと。



いわばあなたは「クリックする機械」でしかないのだとまで言います。

こうした「格差」は、現実世界よりもネットの方が極端なのです。


◆第3章 「一般人の勝者は1人だけ」

リアルの場での知名度がネットでも影響力を持つことを述べてきましたが、一般人でも何らかの分野で「時の人」となるケースもあります。

しかし、それもせいぜい1ジャンルにトップの1人か2人。

これを「1ジャンルに1人の法則」と言っています。

ですから、まだ誰も手をつけていないようなジャンルを見つけて、そこで第一人者となれば、注目される可能性は高いでしょう。

ただし、注目を浴び続けるのはなかなか困難です。

こうした1ジャンルで有名になった人の例も何人か挙げられています。

ところで、人はなぜPV稼ぎと拡散を求めるのか…

儲かるか、あるいは人気者になり、自己承認欲求が満たされるからだと言います。

これに便乗してSNSで「バズる」(話題になる)ためのテクニック本や、コンサルタントを名乗る者まで出てきていますが、子どもでもバカでもツイッターをやる時代になっては、ネットへの過大な幻想はもはや捨てなければならないと指摘します。



とまぁ、本日も結局テキストだらけの長文になってしまいました^^;

全文読んでくれる方はまずいないと思いますが、やはり興味のある分野はあれもこれも書きたくなってしまって…

ちなみに、現在の私はSNSにはほとんど手を出していないし、書店にない本をamazonで買ったり、記事を書く時にバックボーンを調べたりするくらいで、余計なサイトは訪れなくなりました。

このブログが精一杯で、そんな時間もないからですが、つぶやく暇もないほどリアルを忙しくするのが一番の対処法かもしれません^^;




【芸能】“声優ブーム”が生んだ悪循環・・・新人デビュー相次ぎ飽和状態に 「最近は消費サイクルが早くなっている」と某アニソン番組P

新しい声優がどんどん登場し、人気が定着しにくいという悪循環に陥っている
声優活動を疎かにせず、まずは声優ありきでの多方面での活動が重要だという
水樹奈々などは声優活動を大切にしながら、長い時間をかけて実力を磨いた

2000年代後半からのアニメブームにより、
アニメファンのみならず幅広い層から注目を集めるようになった「声優」。

6年連続で『NHK紅白歌合戦』出場を果たしている水樹奈々を筆頭に、
声優の仕事と並行して音楽活動を行う“声優アーティスト”の活躍も目立つようになり、
声優の歌手デビューはいまや珍しくなくなっている。

だが、シーンが活況となる一方で、新人のデビューが相次いだことで飽和状態に陥り、
人気が定着しにくくなっているという課題も出てきている。
では、定着するには何が必要なのだろうか? 今の声優に求められるものを探っていく。

■「第4次声優ブーム」により相次いだ新人デビュー

声優による音楽活動の歴史は古く、『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけに引き起こされた1980年代前後
のアニメブームの頃にまで遡る。

“声優”という職業が浸透したことや、大人も楽しめる作品が登場したこと、
アニメ誌の創刊が相次いだことで、声優自体が人気を獲得するようになり、音楽レコードも盛んに発売された。

1990年代に入ると、顔出しをする声優が増え、いわゆる“女性アイドル声優”の時代へと突入。
マルチに活躍する声優が増えた。

そして2000年代半ば~後半にかけて、『けいおん!』等のヒットにより再びアニメブームが起こったことで、
「第4次声優ブーム」と呼ばれる時期へ。

アーティスト性や本人のパーソナリティに注目が集まるようになり、
アイドル声優に代わる“声優アーティスト”という呼称が使われ始めた。

第4次声優ブームは、優秀な人材を呼び込んだ。
声優に憧れる若者が増え、子どもの「なりたい職業ランキング」上位には「声優」がランクイン。
アニメ・声優分野に新規参入する企業も相次ぎ、続々と新人がデビューしたことによりシーンも急成長した。

しかし、これがある問題を招くこととなる。
「最近は(声優の)消費サイクルが早くなっている」と話すのは、とあるアニソン番組のプロデューサー。

シーンは活性化したものの急激に増えたことで飽和状態となり、デビュー時にヒットを記録しても、
新しい声優がどんどん出てきて、人気が定着しにくいという悪循環に陥ってしまったのだ。



■人気職業故にサイクルが早くなっている

こうした状況のなかで人気を定着させ、水樹奈々に続く新たなスターとなるには何が必要なのだろうか。

昨年、ORICON STYLEでは、「タレントを声優に起用することについてどう思いますか?」というモニター調査を実施した。

その結果、およそ半数が【起用すべきでない】と答えたが、スタジオジブリに対して
「キャラクターに合った声と実力があれば構わないと思う。ジブリは成功例だと思う」(東京都/40代/男性)
という意見があったように、タレントを声優として起用すること自体に抵抗があるのではなく、
キャラクターと声のイメージが合わなかったり、声優としての演技力や表現力が未熟だったりすると、
その違和感から「純粋に作品を楽しむことができなくなる」と感じている人が多いことが分かった。

それはタレントだけでなく、本業の声優も同じなのではないだろうか。
マルチに活躍する声優が増えるなかで、度々アニメファンの間で議題に上がるのが、
「声優活動を疎かにしていないか?」ということ。“消費サイクルが早くなる”と、
まだ充分にキャリアや実力が伴わない時期に主役級の声を担当する声優も多くなるため、
そこで人気を得ても、一過性の盛り上がりで終わってしまうことも多い。

先のアンケートでは、声優を務めるタレントに対し「本来の声優の仕事を奪ってしまっている」(千葉県/20代/女性)
という意見があったが、声優自身もまた“声優ありき”での多方面での活動であり、
まずは“ホーム”での基盤づくりが一番大切であるということを忘れてはならない。

その点、水樹や宮野真守など、今現在、アーティストとしてもトップクラスの人気を得ている声優は、
ホームである声優活動を大切にしながら、長い時間をかけて声優、アーティストとしての実力を磨き上げ、
今の地位までのぼりつめた。

今の声優に求められているものは、声優としての実力や伸びしろという下地があったうえでの、
マルチ展開も可能なポテンシャルだ。

以前、声優養成所の代表が「じっくりと時間をかけて育成していくことも重要」と話していたが、
5年、10年と、長い時間をかけて成長していくことで、“誰にも取って代わることができない”ポジションを
得ることが重要なのだ。

(おわり)


ジャニーズみたいなもんあdな
ところてん方式で量産


最近ヒットしたのは「妖怪ウォッチ」とか「アナと雪の女王」。

キモヲタ向けはどんどん衰退して行くだろう。

8 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 17:53:10.84 ID:/9hatoNX0
ブサイクばかりなのに良くこんなの持ち上げているよね

9 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 17:55:20.53 id:G1aT1cXz0
水樹奈々がいつ実力を磨いたんだ?

10 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 17:56:43.41 ID:T+CFy14j0
制作費が安いからギャラ安い新人使うんじゃないの

11 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 17:57:34.21 id:E6tu5rM10
全部同じキーキー声に聞こえるのは俺だけであろうか


声優学校が大量に生徒募集(学費儲かる)

お試し価格でデビュー

デビュー後一年以内に仕事無くなる

声優学校が新たな声優を提供

(以下ループ)

生徒(の親)から搾取して、
デビューさせることで実績を作り、
さっさと業界から追放して、
また新たな生徒(カモ)を募集する。
そういう世界。

17 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 17:59:39.13 id:LZ0U8Fj00
代わりがいくらでもいるのは低レベルの声優
レベルの高い声優はそうそう居ないよ

アニメだと目立たないが、映画やドラマの吹き替えだと演技力が必要だから低レベルはすごく目立つ


ブスでもババアでも(キモヲタに)チヤホヤされる職業なんて声優ぐらいだろうな


林原から水樹まったく変わってない。
音楽専門学校卒業しただけで一般に通用しないような糞音楽家と
卒業して売れないAKBソロレベルのタレントが組んでキモヲタ相手に荒稼ぎが一番悪影響。
水樹の糞楽曲子供アニメ番組に使われてるんだろ?
子供の感性を壊してるクズだよ。

26 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:07:15.87 id:m8CPoauJ0
>>17
マジレスすると吹き替え中心にやってた細谷や甲斐田や真綾とかアニメに来るとやや棒に感じるから
どっちが上か下かなくてなくて、求められるものが違う

27 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:08:03.86 id:Z6WWEsJf0
>>22
そういや昔は逆だったよねー
歌手や役者やってて、喰えない人が声優に流れてきてた
だからかえって、ちゃんと芝居できる人とか多かったんだよね

昨今のは、ほんと可愛かったりかっこいい人は増えたけど
エグいくらい芝居が画一化されててねぇ

って話を声優好きに言ったら
声優は声質とアイドル性を楽しむものだから、
個性的な芝居なんてむしろ邪魔って笑われたw

時代も変わったー


自分でラノベ書いてアニメになったら原作者権限で声優出来るな
アニメ化される原作書くのと売れる声優になるのとどっちが難しいか知らんが

35 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:16:43.08 ID:uk/tlvl5O
>>27
声優っていうよりアイドルブームからの派生って感じだな

36 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:17:36.36 id:Sy8JE2xo0
日高とか林原あたりまでだな、声で判る様な特徴のあった世代は。
以後は皆同じ似たり寄ったりにしか聞こえん。

男性なら腐女子向けスマート美形連想型
女性ならキモヲタ向けキーキー高音型

37 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:17:49.77 ID:3xfwvw0uO
結局声優ってコマでしょ?
役者側からこういう芝居がしたい、って希望を出しても、製作サイドや所属事務所からダメを出されたら、従わざるを得ない。
それが嫌ならポイされる。
代わりはナンボでもいるからな。
今の声優は芝居が下手なんじゃなくて、取り囲んでいる環境や状況が、芝居を下手にさせてる面もあると思うぞ。

38 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:18:24.63 id:QxqrE5jQ0
人気商売なんだから、入れ替わり早くて当然だろうと思ったけど、
入れ替わり激しすぎて関連商品売る側が苦しいという話なのか。

アイドル声優ブーム後に出てきた声優自体が、声優になることがゴールというやつがほとんどだろう。
スポーツ選手みたいに世界へとかもないし、もともと実力が認められてなるものでもないし


風俗に大量流入してそう

41 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:20:30.48 ID:7CU8wdVO0
>>37
似たような作品に同じようなキャラばかりなので
声優の演技がワンパターンになるのは当然のことではある


岡田斗司夫じゃないけど声優の卵は業界関係者にかなり食い散らかされてそうだね


釘宮とか能登みたいなオンリーワン声優って最近で言うと誰なの

64 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:32:27.29 id:nVM6lr340
>>60
少子化や娯楽の多様化で、安定した利益を出していくのが困難になってるから、継続的にお金を落としてくれる
特定の濃い層を狙った事業展開になるのは仕方ないのかもね。アニメだけじゃなくてゲームもそんな感じだし

65 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:32:49.12 id:afFfz9kW0
声オタがクソだからな

66 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:33:00.24 id:ojXiEUhX0
アニメ本編が声優の宣伝媒体になってるよな
ほんとくそ

67 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:33:19.44 id:h1xsmCAq0
キンキン声出せばいいと思ってるなんちゃって声優とそのヲタが多い

68 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2015/02/08(日) 18:33:59.74 id:hm7cjAjB0
中堅以上の声優が活躍できるような大人向けのアニメを開発しなかったのが悔やまれる。
中堅になってくるとアニメでの出番が少なくなってくるし。

夢を壊されないでいてくれるアイドルってホント素敵ですね。 現役退いてから雑誌で暴露話とかされると悲しいじゃないですか。



> 人はなぜアイドルという名の虚像にこうも入れ込めるのでしょう?
> その実体はたいした人格者でもなし、その辺の女の子男の子と
> それほど差が有るわけ無いのにね?
> AKBやジャニーズに群がる人群を見てるふととそう思う
>
> 補足
> 異質を強調されるようですが
> 仕事として求められればそれに対応するよう努力するのは
> 報酬を貰っている以上当然です。異質とは違うと思いますよ?
> 朝が苦手な人が新聞配達の仕事につくことでいつの間にか
> 朝方人間になってしまったと同じことです
> どんな仕事であれその仕事に就けばそれなりに染まっていきます
> それを捕まえて異質というのもどうかと思います



質問者様はアイドルをお好きになったことがないのではないかと思われますが、アイドルというのは「虚像」を通して「夢を売る職業」です。

裏で必死に濃い化粧をし体毛の手入れをしながらも、そんな素振りは微塵も見せず、いつもにっこり笑って「私たちはファンのみんなが大好きで?す!」という仕事です。
もちろんこれはジャニーズも同じで、裏で汗臭い衣装を着回していようとも、常に爽やかな笑顔で「みんな、いつも応援ありがとう?!」という訳です。

見た目はその辺の男女と大した違いはないかもしれませんが、このように自分の体調や機嫌に関わらず、時には自分のタイプとは正反対の異性に対してすら、笑顔で握手したり手を振ったりすることのできる男女は多くありません。
そのような行為を、アイドルである彼女ら・彼らはお金をもらってプロとして行っている訳です。
しかも、「お金を介した関係」であることを気づかせず、「私たち(僕たち)とファンは心で結ばれている」とファンに勘違いされるのもアイドルの仕事です。

このように、アイドル側の思惑通り「僕(私)たちと彼女ら(彼ら)は心が結ばれている」勘違いした男女たちが熱狂的なアイドルファンになる訳です。

もちろん、こうしたアイドルの仕事を裏で支えるブレイン的存在やプロデューサーとなる存在が必ずいます。
アイドルたちは、このようなプロデューサー的存在の意向通り動く従順性も備えていなくてはなりません。

従って、一見「その辺の女の子男の子とそれほど差が有るわけ無い」と思えるアイドルたちですが、実際に求められるものは「その辺の女の子男の子」とはかなり違います。

いずれにせよ、このあたりの実態が見えてくると、アイドルそのものに興味はなくなるものですが…。
ただ、質問者様のおっしゃるようにアイドルは「虚像」であり「大した人格者ではない」かもしれませんが、「その辺の男の子女の子」とはかなり異なる資質を備えている必要があることだけはご理解いただいても良いかと思います。

<補足について>
どの職業にも「肉体的な強さ」と「精神的な強さ」が求められると思いますが、芸能人、特にアイドルは「精神的な強さ」が求められると思います。もちろん売れれば売れるほど「肉体的な強さ」も求められるでしょう。
一般の賃金労働者は、一定のプライバシーは守られておりますし、過去や現在の恋愛・結婚・離婚等々が世間のニュースになることもないでしょう(もちろんどのような場合にも例外はありますが)。
質問者様のおっしゃる通り、「どんな仕事であれその仕事に就けばそれなりに染まっていきます」というのも一理あると思います。ですが、アイドルほど精神的・肉体的な強さが求められる商業は、あまりないと思われます。




年末ですね!あと数日で今年も終わってしまいます。

わたしはどんな一年だったか、と言いますと、仕事面では本当に大変だったので7月以降は毎日落ち着かない日々でした。もう心ここに在らず…と言いますか、生きた心地がしないと言いますか…

まあそんなことはどうだっていいんです!趣味の方は充実してました!まさにアイドル一色!!

エイトのLIVEには二回行けたし、すばるくんのドリフェスにも行けました。嵐のBlu-rayを買い、二宮さんの秘密にハマり、久々のV6のダンスナンバーに胸が弾み、エイトの10周年で追われる…TVでも毎日のようにジャニさんは出てました。

そこでわたしは思ったのです。アイドルってすごい…そもそもアイドルとは?

アイドルってすごいカテゴリーだと思うんです。これはジャニーズだけでなく他の皆さんも込みで。

わたしはAKBよりもモー娘。世代(黄金期)なのでAKBにまったく興味はないのですが、(というか彼女たちは現代を象徴したアイドルだと思ってます。本来のアイドルとは少し違うかな?)すごいと思います。



きっとそれぞれの思い描くアイドル像ってあると思います。わたしの思い描くアイドル像、代表的なのは三宅さんですかね。ただ単にわたし個人の趣味でもありますが、彼は本当にアイドルになるべくして産まれた人だなぁと痛感します。

アイドル=仕事を感じるような感じさせないような、そんな絶妙なところを彼らは難なくこなしてる。神業です。

アイドルは恋愛禁止…と、アイドルはみんなのものであって特定の誰かのものではない。そういう観念があると思います。暗黙の了解というか。なのでわざわざ恋愛禁止だと言っているAKBさんたちは白々しくてたまりません。だって人間である以上、誰かを好きになるのは仕方のないこと。それを禁止にしてます!と唱う必要ってありますかね?恋愛をして誰かのものになる。そんなこと誰だってわかってます。だけど信じたくないし、できればそうなってほしくない。アイドルでいる限りそんなことをしてほしくない。だからアイドルは恋愛禁止(見えないところで恋愛してね)ってことなんだと思うんです。ファンあってのアイドルです。恋愛したっていいです。ただアイドルでいる限りはそれを見せないでほしい。その瞬間、夢は現実となってしまいアイドルではなくなってしまう。恋愛禁止と唱う理由のひとつにファンを安心させるというのもあるんでしょうけど逆効果な気もします。

そう言ったって熱愛報道は嫌でも出るし、そうなったときにファンは「恋愛禁止だって言ったじゃないか!!!」となり余計に深手を負うことになるからです。だから恋愛禁止だなんてわざわざ言わないほうがいいと思うんです。( わたし個人的な意見ですよ!)

三宅さんがよく言うアイドル=虚像は真実です。アイドルなんているようでいないもの。彼らも自分を偽っています。それが仕事なのですから。でもそんな偽りの姿が誰かの生きる力になっているのも真実。だからアイドルというカテゴリーはなくならないのです。

三宅さんはそんな真実を教えながらもアイドルを演じ続けてくれます。歳を取っても、恋愛しても、アイドルだから。そんな自分が嫌なときもあるけど、それでもアイドルはやめられないよ!そんな歌も歌ってましたね。

アイドルが在るべき姿、そしてファンとの距離感。近すぎても遠すぎてもだめなんです。

今日、エイトのLIVEで横山さんと大倉さんが過激なファンサをしたと聞きました。横山さんに至ってはファンを抱き寄せて頭を撫でたとありました。どんな状況だったかわたしはその場にいないのでわかりませんが、これってどうなんでしょう?アイドルとして正しい行動だったのでしょうか?

わたしはこのことを聞いて羨ましいとかまったく思いません。むしろ横山さんのことを心配します。

横山さんはファンを喜ばせようとして、LIVEが楽しくて盛り上がってやったことなのかもしれません。ファンサをしてもらえた人もこの上ない幸せだったと思います。