二ビル通信

えげつない問題を勝手気ままに取り上げるブログ


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神道とエスノセントリズムはクソ


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「日本人論」のフィクション性

日本人論―明治から今日まで さらには、文化ナショナリズムは「日本人論」などを動員する。それらは学術的にも歴史的にもほとんど大したことがないものがほとんどである。どこの国民も、自分たちはこうであると規定するのは自由だし、それはいかようにでも恣意的に行うことができる。

80年代には日本の企業文化がいかに素晴らしいか、それがどのように日本人の国民性に根差しているかという「日本人論」のビジネス本がたくさんあった。これがいかに恣意的で、単にアイデンティティの称賛のためにあったのか、バブル崩壊後20数年たった現在如何にその「日本人の優れたところ」が今では足枷のように扱われているかはご承知のとおり。

明治以降の国家神道など歴史からすれば、ニューウェーブ・・・というかほとんど新興宗教といっていいほど歴史の連続性として疑わしい。神道そのものも歴史の中で様々に要素が付け加えられてきたもので、とてもでないが万世一系の万古不易のものとは言えない。

実際、神道キリスト教イスラム教・仏教というような体系的な宗教と比較すると、もうなんにもないわけで、「開祖もない、宗祖もない、教義もない」ということになる。

ただ、これ自体は現代に流通する「世界宗教」と比較するからそうなるわけで、例えばゾロアスター教ケルトの信仰のようなものだとやはりないないづくしの宗教になる。それぞれ、多神教の宗教としてニューカマーの世界宗教の壮大な体系からは否定されつつも、それらと共存したり、形を変えてそれらの世界宗教に地域レベルで溶け込んでいるところも特徴。

実際、神道といっても、その最高祭司である天皇は、「出家」したり、仏門を奨励したり、死んだら寺院に葬送されたりするわけである。こういう神仏混淆はつい江戸時代まで行われていたこと。

ようするに神道にはなにも実質的なものが無いのが特徴であり、それだからこそ時代を経ても生き残ってきたということである。

以下、ざっくりまとめ。

神道には開祖もない、宗祖もない、教義もないし、救済すらない。
・そんなのが宗教なのかと疑問もうまれる。が、それを逆手にとって明治以降の近代社会では神道は法律的に宗教ではないとされてきた。
・神社の中心(本殿)には、神像もない。よくて鏡や依代があるだけ。
・そもそも今のような社殿で由緒あるとされているもの、鹿島神宮熊野本宮大社のようなものは紀元前からつくられているとされているが信憑性は薄い。
日本書紀続日本紀などにも、神社創建の記録がない。逆に仏教の寺院や伽藍の建設については記載がいくつかある。
・仏教は仏像を安置する社殿が必要なので、それの影響を受けて後から神道の社殿が出来たのが本当のところか。
・それまでは岩の上で祭祀を行っていた形跡が多数。山そのものが信仰の対象となっていた例も。
・登呂遺跡や吉野ケ里遺跡の神殿は、考古学者が想像で復元しただけのもので、それがあった証拠はない。
沖ノ島は島全体が宗教上重要な場所であったらしい。そこでも祭祀は巨大な石の上で行われていた。
・熊野新宮の神社も岩が信仰の対象。これらは仏教渡来以前から行われてきた。
・火を神聖視する祭祀も多いのも特徴。
・日本創世の逸話も、天地は最初から存在していて、そこに後から神々が生まれてくる。ここには世界を説明するための論理がない。
・創造する中心が神ではないから、それこそ八百万の神が存在することになり、死んだ人がそのまま神となる慣習まで出てくる。
神道の教義のようなものは中世につくられはじめるが、それは仏教の影響が強く、しかもそれを体系化したのは仏教の僧侶である。
神道と仏教は、片方が生の領域、片方が死の領域という役割分担を果たして共存してきた。
・日本で一番多い神社は「八幡神社」であるが、これは奈良の大仏が建立されたときに歴史にあらわれる。つまり、「大仏を守護する神」ということ。
八幡神は仏道修行にいそしんでいる「僧形八幡神」の神像でも知られるが、日本で第一の神が、実は仏教の教えに準じる神で、かつ神話の時代に遡らない。
天満宮の神は菅原道真であるが、もともと道真は藤原氏に左遷されて失意のうちに死んだ人。その怨霊がたたりをおこすとして祀られたのが、神となった。
・その後も、豊臣秀吉が豊国神社、徳川家康東照大権現明治天皇明治神宮、乃木や東郷までもが神社になるなど、特に近代以後、とりとめもなく広がり続けている。
・その代表が靖国神社
・これらの信仰は、キリスト教イスラム教の聖人信仰と似ているが、それ以上に日本の場合は神になるための制限が少ない。
・神を祭るための神主も教義がないため特に資格もいらないし、修行らしいものもない。そもそも神社には誰も神主がいないケースすら多数ある。
・中世では天皇が神主らしい役割をしていた。これは現代にも受け継がれている。
神道の体系化は時代時代で密教の影響を受けたり、儒学の影響を受けたりした。
・江戸時代に国学とよばれる、儒学や仏教を配した神道の理論がはじめてまとまっていく。そして、これが明治以降の天皇制のバックボーンとなる神道の理論となる。
・近代天皇は、神であると同時に祭祀であり、現人神とされた。だが、江戸時代の天皇家では菩提寺もあった。つまり仏教徒だったわけである。明治になってはじめて宮中から仏壇がのぞかれ、祭祀の施設である「宮中三殿」ができた。

今ある神道のスタイル、特に皇室にまつわるものは、江戸の国学が提唱したニューウェーブであり、このほとんど新興宗教に近いスタイルを明治政府国家神道に仕立て上げたというのが流れである。

古神道には神社神道では失伝してしまった秘法が、沢山有ると聞きましたが、どの様な秘法が有るのですか。そもそも古神道とは、どの様な神道ですか。


古神道を語ると宗教よりもオカルトくさくなってしまうので避けますが。
明治政府廃仏毀釈神仏分離の影響を受けて、神社神道で失伝した古文書や神像はゴロゴロあるそうです。
仏教や修験道陰陽道道教蘇民招来、泰山府君、牛王などの異神と混交が進みすぎていたものなどですね。
一説によると、神道天皇制は密接に結びついていますが、北朝へ錦の御旗を担がせた明治政府
南朝側を称揚・崇敬する類の神道からも古文書を持ち去ったと聞きます。
今も宮内庁が厳重に管理しているとか。

古神道はそれよりも古い江戸時代のムーブメントですが
私から見れば神道系の新興宗教がポコポコ誕生した時代に
「今の神道は本来の神道じゃない!もっと古い神道があって、これこれこうだった!」
・・・と捏造資料を聖典のように持ち上げてたようにしか見えませんけれどね。




神道は宗教と思えない

 友人の中にあれやこれやの宗教の熱心な信者がいて、私はその会合や講演会に誘われることが多かった。仏教徒でありながらキリスト教の聖書を愛読してきた私は、どの宗教も基本は同じに感じている。
 愛を説くキリスト教に対して、仏教は慈悲を説く。どちらも人間修行の場であり、信じることによって救われる。宗教は天国、すなわち極楽浄土への門を開いてくれるものらしい。キリスト教から素晴らしい言葉を引用しよう。新約聖書のコリント前書第十三章によると、「愛は寛容で、慈悲深い。愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。不作法をせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を喜ばず、真理を喜ぶ。すべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。愛はけっして滅び去ることはない」。旧約聖書詩篇第二十三篇では、「たとえ、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」。
 キリストにしても釈迦にしても、教祖たちは申し合わせたように慈愛に満ちた人格者だから、その言葉は人を惹きつけずにおかない。インドで宗教家として活躍したサイババの言葉「何も持たず、私のところに来なさい。私を呼びなさい。私は常にあなたの側にいる。誰であれ、最期のときまで私が守る」もその例に洩れず力強く愛に溢れている。私の好きな言葉の一つである。
 ところが、神道は宗教とされていながら、内実はまったく異なる。これも友人に誘われて講演会に参加したから分かったことだが、神道は宗教と思えない。ズバリ、政治団体そのもののように私は感じた。神道の集会における司会者の挨拶、講演内容に加えて機関紙掲載文からもそれが伝わってきたのである。
 私の印象に残った言葉や文を書き出してみよう。
 ① 「戦争に負けて日本は駄目になった。 日本を再生させなければならない」という。言っている当人も列席者たちも五十代、六十歳前後で、敗戦を知らない世代の筈なのにどうしてそう言えるのか。我が耳を疑った。
 ② 新しい歴史教科書を推奨。 高校の修学旅行に靖国参拝遊就館見学を勧めている。
 ③ 靖国神社では、国のために死ねる青少年を養成するセミナーを開いている。年中行事らしくて、参加人員は百名。
 ④ 大学入試の設問を取り上げて、「天皇制否定の思想を引き出そうとするものがあるのは、怪しからん」との意見が出ている。
 こうした言葉から、靖国軍国主義の本拠地であると同時に、天皇制強化の道具として利用されているらしいこと、神道天皇制の支持母体であることが分かった。あ、だから皇族の男子は「『宮』家」を起こし、皇室問題を司る省庁は「『宮』内庁」と称するのだな。神道は「天皇を神とする組織」だと気がついた。
 ここでもう一つ、私が見てきた神道特異点を挙げておきたい。神道の講演会に集まった人たちには特徴があった。他の宗教の場合は、庶民の集まりという感じで女性の方が多いのに、神道だけは違う。服装がぱりっとしたまさに上流社会人の印象があって、しかも五十代位の働き盛りの男性が多かった。会場自体も神道の場合は、絨毯の敷きつめられた高級ホテルだった。他の宗教がどれも公共施設で開催されるのとは大違いだ。こうした違いから私は「神道って何だろう?」と改めて考えずにおれなくなってしまった。
 神道の活動には、日本の国を支配し自分の思う方向へ引っ張っていこうとする独裁姿勢が見られる。もしも神道の思い通りの日本が実現したならば、再び大日本帝国時代に戻るのではなかろうか。
「戦争に負けて日本は駄目になった」のではなくて、逆にそれまでよりもずっと良い国に生まれ変わった、というのが戦争体験者たち大方の見解である。特に庶民階級と女たちの共通実感である。男尊女卑から男女平等へ。さらに自由と人権が与えられて、女子供も中下層階級の男も解放されたのだ。敗戦は平和で豊かな生活へのスタートだった。
 なのに、戦争も敗戦も知らないはずの世代が「戦争に負けて駄目になった。日本を再生させよう」と言うのは実におかしいではないか。恐らく彼らの父祖はかつての雲の上族であろう。明治維新以来優雅な生活を送っていたのが、敗戦によって庶民の高さまで転がり落ちた人たちに違いない。だから「戦争に負けて駄目になった」という言葉が出たのだろう。
 彼ら百済王族が支配していたときの日本国民は実に惨めだった。戦前だけでなく戦後何年かの間は余韻のためまだ国民は虐げられていた。強く叱責する警官や税務官の姿は私の記憶に残っている。戦中などはその比でなく、殴り、蹴り、水中に頭を突っ込む体罰を食らわした軍隊や警察のことは高齢者なら知っている。戦争に負けたことによって日本はずいぶん人道的になった。
 それなのに、戦前の日本を正当化する神道の方針はまことに危険である。ただし、神道の中の大部分の人は、歴史上の百済の存在も知らず、日本人になりきった問題のない人たちだろう。怖いのは神道の核となっている百済系そのものだ。あの神道の集会のときに見た立派な服装は百済の象徴に思えてならない。彼らは恐らく保守政党と結びつき、政界にその根を張っているであろう。神道の核となっている復古調は軍国主義そのものに思われる。
 神道の中の一般の人たちよ、どうか、神道の中心になっているのが百済系であることに気づいて欲しい。彼らが日本にとって危険な存在であることを悟って欲しい。
 神道の講演会での参加者の服装や会場が、他宗教とは段違いに立派であることを見たのは私の非常な驚きだった。日本は豊かな層とそうではない層に二分されている、ということを強く肌に感じ取った。これは貴重な体験であった。立派な服装は百済系であろう。
 この宗教に限って宗教活動そのものは、まるで空っぽであった。「お国のために死んで靖国の神になれ」というあの言葉に「神」が出てくるだけだった。それを言うための宗教、これこそまさにカルト宗教ではないか。