二ビル通信

えげつない問題を勝手気ままに取り上げるブログ


スポンサーリンク

横書きと縦書きの歴史


スポンサーリンク

f:id:MetalFightBeyblade:20160408224928g:plain

なぜ戦前の横文字は右から左に書くのか?

ふと何気なく目にした昔の文字に、素朴な疑問を抱いたことはないだろうか。例えば、「ルメラヤキクルミ」を読んでみよう。これ、そのまま読むと「ルメラ焼きクルミ」のようだが、右から左へ読んで「ミルクキャラメル」が正解だ。他にも例をあげると、下記の通り。

例)
具房文 (文房具)
鹸石クルシ (シルク石鹸)
ルービ (ビール)

読みにくい。非常に読みにくいし、書きにくそうだ(実際、書きにくい)。しかし、横文字を右から左へ書いていた時代が、確かに日本にはあった。第二次世界大戦直後まで、そのような表記がいたるところで見かけられたのだ。一体どうして横文字は右から左だったのか? そして、なぜ現在のような左から右へと移っていったのか?
戦前の印刷物を見ると、横文字は右から左に書いてあるものが多い。どうして横書きは右から左だったのだろうか。戦前の日本語を、「歴史的仮名遣い」として研究されている押井徳馬さんに話を伺った。

「戦前の横文字が右から左だったのは、縦書きの影響です。日本語の縦書きは、行は右から左に進みますから、額やのれん等の横長のスペースに書く時も、一行一文字の縦書きをする様に、かつては右から左へと書くのが一般的でした。ただし右横書き(右から左に書く横書き)とは、文字をあくまでも横長のスペースに収める都合上のもので、出版物の本文は大抵縦書きであり、まるごと右横書きで書かれることはありませんでした」(押井さん)

なるほど、縦書きが右から左に書くものだから、それと同じ要領というわけらしい。


意外と単純な理由であった。
しかし戦後になると、横文字は現在のように、左から右へと変化する。こうした背景には何があったのだろう。押井さんはこのように説明する。

「欧米の言語の影響です。実は戦前は左横書き(左から右に書く横書き)が無かったわけではなく、左横書きと右横書きの両方が使用されました。英語の辞書や教科書など、英文と和訳を並べて書くには左横書きの方が都合良いですし、他にも算術や音楽の教科書、数式や外来語の多い技術書などで左横書きが見られました」

確かにそうだ。右から横書きにしてしまうと、英語と和訳を並べて書くときに並びが逆だし、見づらいではないか。

例)
This is a pen.
。すでンペはれこ

分かりにくいことこの上ないし。だから左横書き普及運動が生まれた、なるほど、納得だ。

「左横書きが本格的に普及して右横書きが廃れていったのは昭和20年代以降で、昭和21年に読売新聞、昭和22年に朝日新聞が新聞に左横書きを採用し、昭和20年代以降、省庁の文書が縦書きから左横書きに徐々に変更されていったのがきっかけでした」(押井さん)

段々と、戦後の日本にふさわしい文字文化の革新が、新聞から浸透していったというのが始まりらしい。左横書きに変化していなかったら、私たちの文字文化は今とは違う非常に奇妙なものであったに違いない。
右から左に文章を書ける記事なんて、きっと今回だけだろうから、書いておこう。


漢字が右読みから左読みになった要因

昔の日本語は、現在とは違い右から文字を書いていたと思います。
ところが、現在は左から文字を書きますよね。

なぜこういう大きな改めがあったんでしょうか?
そもそも今まで慣習となっていた右読みが左読みになると
不便極まりなかったと思うのですが。
左読みにした要因を教えていただけないでしょうか。

これに加えて、右読みから左読みになったときに
一般生活者は非常に戸惑ったと思いますが、
一般生活者にこの大きな変化はどのように
受け入れられていったのかもご存知の方いれば
よろしくお願いいたします。


横書きは、戦前はもちろんのこと、最初から「左→右」でした。

中国も日本も縦書きが基本で、上から下、右から左へ書いていきます。
もともと横書きは存在しませんでした (下記URL、挿図4、挿図5参照)。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/
欧米の語学や数学の著作の翻訳などを縦書きにすることには無理があるので、
洋書の横書きをそのまま取り入れました。

つまり、
1、昔は縦書きしかなかった。
2、横書きは最初から「左→右」だった。
ということです。

右から左への横書きのように見えるのは、新聞の見出し、店の看板、ポスターなど、
すべて【1行1字詰めの縦書き】です。
広告コピーなど、二段に並んでいてもそれぞれが独立・完結しています。
アラビア語のように【複数行にわたる段落】を横書きで右から左へ書くことはありませんでした。

【3字×3行】
|七 四 一 |×三二一|
|八 五 二 |×六五四|
|九 六 三 |×九八七|

【2字×4行】
|七 五 三 一 |×四三二一|
|八 六 四 二 |×八七六五|

【1字×5行】
|五 四 三 二 一|

これは横書きではないのです。

|三一|
|歎讀|
|-當-|
|-世-|
|-書-|
|-生-|
|-氣-|
|-質-|

|譯全|
|-平-|
|-家-|
|-物-|
|-語-|
|下上|

「譯全」「下上」は横書きではありません

鴨居の上などに掲げられる額で、
「人愛天敬」
と右から書いてあり、横書きのように見えても、
「人」という大きい字の左に小さい字で
「○○年春 □□書」などが縦書きで書かれているでしょう。
もし横書きなら、「命」という字の下に、「左←右」で
「書□□ 春年○○」
と書くはずですね。


日本でも
横書きとするときは、右から左に書いていました。
江戸時代からそうですよ。


えーと確か日本や中国にはそもそも横書きはありませんでした。
右から横書きにしている物を見かけますが、あれは縦書きです。
縦書きで一文字で改行しているわけです。
横書きを西洋から取り入れたときにそのまま左から書くことを学んだわけですね。


Q. いかちゃんからの疑問

 昔、『八甲田山』という映画がヒットしたとき、どこかのおばあさんがその看板を見て、「やまだこうはち」と読んだ――という笑い話があります。
 そういえば、昔、日本語を横書きにしたときは、右から書いたり読んだりしていたのですね。
 今では、横書きの日本語は左から読むのがほとんどですが、左から読むようになったのはいつ頃からで、左から読むようになったきっかけは何だったのでしょうか? やはり、外国の文化がたくさん入ってきた明治の頃ですか?

★車体に広告用に書かれた文字が、たまに右から読む場合があります。
  あれって、「え!」と思いますね。(星田)

A. ポポンさんから

 これから書くことは、全て予想です、すみません。
 きっかけは「明治維新第二次世界大戦」ではないでしょうか。かつての日本語の横書きが右から左だったのは、縦書きの場合右から左だったから、つまり「縦1文字の縦書きを続けたら、右から左に読む結果になった」みたいなことだと思います。
 そこに明治維新脱亜入欧、列強に肩を並べるという時代になって、西洋式に拒否反応を示す度合いが弱くなったから、西洋式「左から右」と和式「右から左」の両方式が横書きとして混在するのは非合理的だから、という2つの理由で明治時代に変わり始めたのではないでしょうか。
 もしくは第二次世界大戦で敗戦し、GHQ統制下で文書記述上において不便がはっきり出てきたから、徹底的に横書きは西洋式に改められたとか。
 戦時中の新聞なんかは「右から左の横書き」が多かったように思いますが、敗戦以後のものはあまり見ない印象があります。

A. とんとんさんから

「昔は横書きを右から読んでいた」というのは誤りです。日本語にはそもそも「横書き」は存在せず、すべて縦書きでした。
 一見横書きのように見えるものはいろいろありますが、それらはすべて「一行の字数が一文字の縦書き」です。当然、一番右の行(の一文字)をまず読み、続いてその左の行(の一文字)を読む、という順番になります。それを、現代の感じ方で、右から書いた横書きのように思ってしまっているわけです。
 横書きが使われるようになったのは、当然明治以降の西洋文明を取り入れる時代でしょう。アルファベット表記や算用数字を扱うには縦書きは不便なので、日本語でも横書き(これは当然左から読むもの)が使われるようになったのだと思います。

A. ナタさんから

 結論から言うと、江戸時代末期の蘭学関係の書物から、すでに左から読むものがあったようです。印刷物としては江戸末期の浮世絵の中にある右横書きが早いようですが、どちらも横書きが始まった頃から使われていたようです。
 ただ、日本語がそれまで縦書きで右から左へ読んでいく書字体系だったため、ヨーロッパの左横書きを習わない人は、右から左へ読む方が取っつきやすかったようです。
 アルファベットやアラビア数字と一緒に使う場合など、横書きのみの文章は左から読む横書きがずっと使われてきました。
 ふつうの縦書きの場合に見出し部分をどちらから書くかでは、初めは右から読む横書きのみでしたが、左から読む横書きも出てきて混在していました。今でも、車の横に書かれている文字は、左から読むものと、先頭から読むために右から読むものが混在しているのはその名残だと思います。
「昔は横書きの日本語は右から左へ読んでいた」というのは、戦前の政治家が一行一字の縦書きを間違って横書きだと思いこんでしまったことが遠因です。反英米を唱えていた時代に、西欧文明が横書きで左から読むので、それに対して右から読むのが日本の古来の方法だということで、横書きも右から読むという偏った考え方が広まったためです。
 このあたりの詳しいことは、岩波新書の屋名池誠著の『横書き登場-日本語表記の近代-』という本を読んでもらえればよくわかると思います。


日本語の表記が、左から右に書くようになったのは、いつからなんでしょうか。
日本語の表記が、左から右に書くようになったのは、いつからなんでしょうか。
戦争に負けてから、アメリカにそうしろと言われたんでしょうか。

<引用>
歴史的経緯
元来日本語は漢文に倣い、文字を上から下へ、また行を右から左へと進めて表記を行っていた。漢字と仮名の筆順も縦書きを前提としており、横書き不能な書体も存在する。

横書きとは文章を横方向に進めていくものである。横書きには左横書き(左から右へ文字を進めていく方法)と右横書き(右から左に文字をすすめていく方法)がある。暖簾や扁額(寺社の門などに掲げられた横長の額)では古くから右横書きのような記法が行われてきたが、これらは様々な状況証拠から「一行一文字の縦書き」と考えた方が自然である。しかし江戸時代に蘭学の流行などの影響を受け、洋書を真似た(より厳密な意味での)横書き法が発生した。

日本で最初に横書きが出版物に使われたのは、外国語の辞書であった。最初の日本語の外国語辞書は、外国語が左横書き、日本語が縦書きで、本を回転しないと普通に読めない。明治18年の「袖珍挿図独和辞書」では語釈(日本語)を横書きしている。

太平洋戦争前、欧文併記文書以外の一般大衆を主対象とする新聞や広告などでは、一行一文字の縦書きと同順になる右横書きが優勢であった。しかし後掲の屋名池の著書などによれば、1940年頃からは左横書きによる方向統一の動きが各所で散見されるようになり、文部省の諮問機関、国語審議会では1942年7月、左横書きを本則とする旨の答申を出すに至る。もっともこの際は反対論も強く、答申の同部分は閣議提案されなかった。

戦後、GHQ/SCAPによるアメリカ教育使節団報告書中のローマ字採用勧告や漢字の廃止運動(国語国字問題/漢字廃止論)などの社会運動により、西欧の記法に倣う左横書きが革新的、右横書きは保守的、というイメージは決定的なものとなり、右横書きは衰退の一途をたどることとなった。例えば新聞では「読売報知新聞」1946年1月1日号を皮切りに、また紙幣では1948年3月のB50銭券を端緒として左横書き化されている。また諸官庁の作成する文書形式のガイドライン『公用文作成の要領』(1951年10月30日国語審議会審議決定・1952年4月4日内閣官房長官依命通知)では、「執務能率を増進する目的をもって、書類の書き方について(略)なるべく広い範囲にわたって左横書きとする」としている。

右横書きが廃れた後、「過去の右横書きはすべて暖簾や山門の看板などに残る一行一文字の縦書きと同じものであり、真の意味での右横書きの記法は日本に存在しなかった」という誤解も生まれたが、古い印刷物などに残る桁折り進行する右横書き文の中には、文節と無関係な位置で行替えされるものもあることからその俗説は容易に反証できる。また同様に、「戦前までの日本語の横書きは、右横書きしかなかった」という俗説も広がっているが、誤りである。


「戦前は右横書き、戦後は左横書き」これ本当?

 戦前の本で横書きのものは、みんな右→左の方向なのでしょうか?
 そんなことはありません。 数学の教科書、音楽の教科書、英語の教科書など、また技術書など、どうしても左横書き(左→右)のほうが合理的な場合は左横書きもよく用いられました。
 嘘だと思われる方が多いでしょう。 論より証拠、以下に証拠写真を載せましたのでご自分の目でご確認ください。

大正十五年 算術(算数)の教科書(教師用)  1 2 3
昭和七年 音楽の教科書  1 2 3 4 5 6 (「春の小川」と「牧場の朝」にしたのは、両者とも著作権が切れているため)

おまけ:「牧場の朝」のMIDIファイル(makiba.mid)

大正十四年 英語の教科書  1 2
昭和十八年 技術書(最新應用機構學)  1 (図中だけ、「断面」の「断」の字が略字体であるのにも注目))
 実は、右横書きというのは縦書きの一種だという説もあります。 一列に一文字だけ書く縦書きなのです。
 戦前の文献を研究するなら、全体的に縦書きになっている本や雑誌は横書き部分が右横書き、全体的に横書きになっている本や雑誌は左横書きです。 全頁にわたって左横書きの本は戦前でもたくさんありましたが、逆に全頁にわたって右横書きの本など一冊も見たことがありません。 そんなことをするくらいなら縦書きにするほうがまだ合理的です。

 結論として、最初から横書きでいいと割り切っている場合は左横書き、縦書きの本の中の一部に横書きを混ぜたり、横長の空間しかない看板に文字を書いたりなどと、本来は縦書きだが便宜上どうしても横書きが必要な部分のみに使用するのが右横書きなのです。
おまけの資料

佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」 第三章より

……英語の先生とはいうものの、この朝井先生は猛烈な国粋主義者であった、ある日生徒は英語の和訳を左から右へ横に書いた。それを見て先生は烈火のごとくおこった。
「きみらは夷狄のまねをするか、日本の文字が右から左へ書くことは昔からの国風である、日本人が米の飯を食うことと、顔が黄色であることと目玉がうるしのごとく黒く美しいことと、きみに忠なることと親に孝なることと友にあつきことと先輩をうやまうことは世界に対してほこる美点である、それをきみらは浅薄な欧米の蛮風を模倣するとは何事だ、さあ手をあげて見たまえ、諸君のうちに目玉が青くなりたいやつがあるか、天皇にそむこうとするやつがあるか、日本を欧米のどれいにしようとするやつがあるか」
 先生の目には憤怒の涙が輝いた、生徒はすっかり感激してなきだしてしまった。
「新聞の広告や、町の看板にも不心得千万な左からの文字がある、それは日本を愛しないやつらのしわざだ。諸君はそれに悪化されてはいかん、いいか、こういう不心得なやつらを感化して純日本に復活せしむるのは諸君の責任だぞ、いいか、わかったか」
 この日ほどはげしい感動を生徒にあたえたことはなかった。
「カトレットはえらいな」と人々はささやきあった。

佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」 第九章より

……この溢るるごとき群衆をわけて浦和中学の選手が英気さっそうとして場内に現われた、そろいの帽子ユニフォーム、靴は黒と白の二段抜き、靴のスパイクは朝日に輝き、胸のマーク横文字の urachu はいかにも名を重んずる若き武士のごとく見えた。
……(中略)……
 やがて審判者がおごそかに宣告した。
「プレーボール!」
 浦中は先攻である。黙々の投手五大州ははじめてまん中にたった、かれは十六歳ではあるが身長五尺二寸、投手としてはもうしぶんなき体格である、かれは手製のシャツを着ていた、それは白木綿で母が縫うてくれたのだが、かれはその胸のところに墨黒々と片仮名で「モクモク」と右から左に書いた。かれがこれを着たとき、すずめがそれだけはよしてくれといった、かれは頑としてきかない。
「おれは日本人だから日本の文字のしるしを書くんだ、毛唐のまねなんか死んでもしやしないよ」
 これを聞いて黙々先生は感嘆した。
「松下! おまえはいまにえらいものになるよ」

※なお、新学社文庫版を底本としたため、略字略仮名遣い、また制限漢字は仮名に改められている(正字正仮名の底本が手に入り次第、原文に改める予定)。

 この作品が書かれた当時、左横書きは欧米風、右横書きは日本風という認識があったことがわかります。この作品のカトレット先生みたいに、右横書きこそ日本語の正統な書き方という信念を持つ人も、どうやら少なくなかったようです。


『横書き登場 -日本語表記の近代-』(屋名池 誠,岩波新書
 知らない分野の本を読むのは楽しいなぁ,と再認識させてくれる本である。要するに,日本にいつ頃から横書きが登場し定着したかを,丹念に資料を追うことで証明した力作にして労作。読んでみて損はありません。

 日本語は本来,縦書きだったことは誰でも知っていると思う。書でも本でも百人一首でも時世の句でも,全て縦書きで書かれてきた。実に日本語に横書きが登場するのは幕末なのである。
 と書くと,「そんなこと言ったって,うちの欄間にかかっている額(扁額)は横書きだぞ」という反論が出るだろうが,これは実は縦書きの変形なのである。これは次のように見ていくとよくわかる。

 基本となるのは①である。これは誰が見ても縦書きで,床の間なんかに飾ってあるのはこのパターン。
 では,紙が正方形だったらどうするだろうか。これが②である。「風林」と書いて改行し,左側に「火山」と書くのだ(「縦書き左改行」が日本語の基本だから,左に改行する)。
 では,紙が横長だったらどうするか。これが③である。要するに「風」と書いて改行し,その左に「林」と書き,それからまた改行して左に「火」・・・なのである。つまりこれは「横書き」ではなく,一行に一字しか書かれていない「縦書き」なのである。

 ね,面白いでしょう? このあたりで既に「へ~ボタン」が叩きますよね。何かの折にこういう知識を披露すると,それだけで「あの人,博識だねぇ」と言われるはずだ。

 ちなみに,③が「一行一字の縦書き」である証拠に,左隅に書かれている署名は必ず小さな文字で縦書きである。要するに,縦書きできるスペースがあるか,字を小さくすることでスペースができれば,自然に縦書きに戻ってしまうのである。

 どうも日本人というやつは,横に長いものがあると「右から左」に目を移動させる癖というか,時間の流れを感じるような感性を持っているらしい(あるいは,持っていたらしい)。巻物にしても忍者の秘伝書にしても,右から左に書かれているし,「源氏物語絵巻」を見れば自然と,右の絵から左の絵に視線を移していくし,絵も右から左へと時間が流れるように書かれている。

 これは現代でも生きていて,漫画を読むときに「どっちの方から読むんだろう」と戸惑う日本人はいないわけで,なぜか自然に「右上から左下」に視線を動かして物語の進行(時間の経過)を読み取っているのである。四コマ漫画だって縦に絵が並んでいれば上から下へと読むし,横に並べられていたら右から左に読んでしまうのである。
 嘘だと思ったら,四コマ漫画を切り貼りして「左から右」にして見たらいい。無茶苦茶読みにくいぞ。

 こういうわけで,古来から日本人は,絵とか文字とかが横に並んでいれば誰に教えられるでもなく「右から左へ」と読み,時間の経過を感じてきたらしいのだ。

 ところが江戸時代になるとヨーロッパの文化が伝えられる。これは言語にしても数字にしても「左から右へと横に書く」文化である(これが「左横書き」)。特に幕末になると,一般庶民でも数字や横文字を見ることになる。問題は,これらの「横文字」と日本語をいかに共存させるかということである。

 今でこそ,日本語も「左横書き」が普通になっているが,上述のように,本来の日本語には「横書き」は存在しないのである。もしも横に書かれた漢字があれば「右から左へ」と読むのが日本文化である。だから,いろいろな人がいろいろな方法を考えるのである。

 一番困ったのが外国語辞書。【"desk" 「机」】なんてのはいいけれど,【"democracy" 「民主主義のこと」】と英単語の訳を右側に書くときに,「民主主義」だけを縦書きにしたり(当然,読者はここで本を90度横にして読むことになる),狭いスペースの中に小さな文字で無理やり縦書きにしたりしたのだ。

 「そんなの簡単じゃん。英単語と同じように左から横書きすればいいだけじゃん」と言ってはいけない。何しろ日本人は「横に書かれた文字は右から左に読む」のが癖になっているのだ。左から書いてもいいけれど,その際は必ず,「ここから読み始めますよ」という記号をつけない限り,どこが単語の頭なのか,判断できないのだ。
 だから「イラク派兵」と左から書いてあっても,当時の日本人は自然に右から「兵→派→ク→ラ→イ」と読んでしまい,意味が通じないのである。

 さらに,船とか車に書かれている文字(船の名前とか会社の名前ですね)は,「右側は右横書き,左側は左横書き」になっていることが多いが,これがいつ始まった風習なのかとか,話題は尽きないのである。

 そして,第二次大戦中,作戦と戦闘の効率化,合理化を高めようと軍が「横書きは左横書きで」と主張したときに(これが当然の主張であることは誰でもわかるよね),国粋主義者の間から「日本の伝統は右横書きである。大和魂は右横書きである」ってな横槍が入った,なんてところを読むと,「日本刀を振りかざせばB29は恐れて逃げていく」と,何か問題が起こると精神論に逃げるいつものパターンが見えてくるのである。