二ビル通信

えげつない問題を勝手気ままに取り上げるブログ


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やはり江戸時代は貧しかった特集Part2


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江戸時代から都会よりも地方が過剰に恵まれ続けている日本

「宵越しの銭を持てなかった」江戸っ子
江戸時代、江戸の人口は100万人を突破し、世界一の大都市だった。一方、住民の半分は地方から参勤交代でやって来る大名で、肝心の江戸住民は限られた空間で窮屈に暮らしていた。経済的な貧困もあり「宵越しの銭を持てなかった」江戸住民の間では栄養失調による脚気が流行した

ところで、その江戸には誰が住んでいたかっていうと、武士と町人がおおよそ半々の割合だ。

城下町で武士が元々多い上に、参勤交代で来る大名達は、広大な武家屋敷を構えていた。だから、江戸の土地の7割が武家地。寺社の土地が1割くらいあったから、残り2割の狭い土地で、50万人もの町人がひしめきあっていた。だから江戸の町人は、四畳半の長屋住まいが一般的だったというわけ。

トイレや井戸は共同。お隣さんとは板一枚。狭くてプライバシーもないところに大勢いると、人付き合いも煩わしくて、さぞいざこざがあっただろう、なんて思うだろう。

じつは江戸っ子は宵越しの銭を「持たなかった」のではなく「持てなかった」だけなのです。というのも、江戸っ子のほとんどは地方から出稼ぎに来た流入者であり、定職のない日雇いの肉体労働者でした。もちろん賃金も安く、その日食べるのが精一杯なカツカツの生活だったのです。ですから、今夜の食費を出したらもう残らない、よって宵越しの銭はもてない、というだけでそれをかっこよく誤魔化しているだけなのです。

 また、一部の江戸っ子の間では、「ザルそばはつゆを半分しかつけないのが通」というのが囁かれていますが、じつはこれも見栄です。半分しかつけないのはその方がおいしいからではなく、「つゆがもったいない」からです。
 誰だったかの落語の落ちで、江戸っ子爺さんの今生の言葉が「一度でいいからそばにつゆをたっぷりつけて食ってみたかった」というのがあるくらいです。

江戸の下級武士や町人たちは、白米以外のものをあまりとっていませんでした。

そのため栄養が偏り、脚気(かっけ)が流行したそうです。当時は、白米ばかり食べることでビタミンB1不足の状態になり、脚気になることは知られていませんでしたので、江戸の奇病として恐れられていました。

「国民が貧困に苦しんだ」戦時中・戦後直後というのは間違い?

統制、空襲、食糧難で苦しんだ帝都東京
一般的に、戦時中から戦後期にかけての悲劇は「日本人共通の不幸」と認識されている。東京では50回を超える空襲が繰り返され、終戦の数か月前には10万人の死者が出る「下町大空襲」を経験。世界史に残る大虐殺だった。戦時的な統制社会は過酷を極め、東京の人間は戦時中から戦後直後にかけ、焼け野原を飢えに苦しんで彷徨い、子どもは学童疎開を経験した。この辺りは、平和教育でもとことん習うことだ

昭和17年4月18日の初空襲以来、東京区部では死者が出ているだけで56回もの空襲があった。しかし、クローズアップされるのはやはり、終戦の年である昭和20年3月10日、約10万人の死者を出した「下町大空襲」だろう。実際、後にも先にもこれだけの犠牲者を出した空襲はない

戦後の貧困と飢餓の裏側に闇市の跋扈(ばっこ)があった。戦争に負けても人々の食べる為の生存競争は熾烈を極めた。名ばかりの配給品は遅配、欠配でとても飢えを凌げるわけがない。住む家を失い衣食住共に極度の窮乏状態にあった。

そこに駅前広場や盛り場に闇市が出現し、一種の戦後風物となった。
横流し、盗品、密造品,進駐軍の残飯などの食料品を始め鍋、釜の日用品までところ狭しと立ち並び、日々賑わった。

空襲による焼け跡や建物疎開の空地が闇市により次々と不法占拠された。農家からの穀類野菜、イモ。豆などを始め、北海道のするめ、どぶろく、カストリ焼酎、進駐軍の残飯シチューなどを露天で売るのだが、そのうち的屋(てきや)が現れ、地割などを仕切るようになった。青空市場と言うよりまるで小規模なバラック商店街の様相である。

疎開」を迎える地方は豊かだった!
なお、学童疎開を受け入れる側の地方はどうか。農耕地帯には空襲の被害もなく、土地が豊かで、食べ物はいくらでもあった。したがって、そこでの戦争時代の思い出は悠長なものが大半だった。もちろん「戦後の貧困」も存在しない。しかしこういう「体験」はメディアや学校教育でも黙殺されることだった

戦後、農家に高価な着物を持って行ってわずかな芋と取り換えたという都会人の恨み節は繰り返された

地方だと食料にも困らなかったとか、軍でも装備がなくて暇なので漁に出たら大漁だった、なんて話もありますね……あと厳しい情報統制や取り締まりとは無縁な世界とか

激しい空襲被害があるでもない田舎の農家側の体験と、
激しい空襲から逃げるよう疎開した都会人の体験の、
その体験の厚みの違いを考えれば当然のような気がする

向田邦子の『父の詫び状』を読むと、終戦直後の仙台にはコメがいっぱいあって、どぶろくも作っていた。仙台がこうなのだから、他の地方でもそうだろうと思って尋ねてみると、やはりそうだという。ではなぜそれを言わなかったのか聞くと、「何となく言い出しづらかった」と言われたって

教科書に江戸が世界最大都市なんて記述がありましたが本当でしょうか?
江戸時代、江戸は100万人の人口を有しており、北京とロンドンに並ぶほどと聞いたのですが

ぶっちゃけ、日本が勝手に自画自賛しているだけですよね。そもそも、都会の定義を人口に置き換えて考えているのは、日本ぐらいですよね。

世界都市とは、当時の産業と経済そして貿易総額から編み出すべきだと思います。
その証拠に、1850年代はロンドンが230万人。パリが130万。そしてアジア最大の都市北京は160万人。いずれも国際貿易を展開していた先進国の首都です。

一方の江戸は78万人程度で、100万に届いていません。もちろん、この人口は国内の一極集中化によってもたらされたもの。
国際的にみて江戸は、極東の片田舎です。

仮に100万人口を大義名分として世界最大都市を標榜するのなら、1300年にはすでに人口130万を達していた杭州、南京、広州なども当然含まれますよね。

なぜ、こうも田舎者まるだしのねつ造を平気で行うのでしょうか。しかも教科書に記述されているのだからなおさら滑稽ですね。日本もある意味朝鮮と変わらないですね。


江戸の町は定住していた人だけでなく
いろいろな労働者や季節労働者
出たり入ったりしてたので
正直完全な人口は把握できません

冬場は近隣から出稼ぎにくる人も多く
流動的だったのですねぇ

定住者が100万人に満たなくても
実際の人口は100万人以上いたことは間違いないようです

まぁ、韓国や北朝鮮と同じ民族ですからねぇ
やってることも似てるわけで
近親憎悪ですかねぇ


江戸時代を語る人骨1万体 栄養失調や伝染病が多く、小柄だった

江戸時代を語る人骨1万体 栄養失調や伝染病が多く、小柄だった
1 名前: ガーネットスター(やわらか銀行):2012/05/14(月) 12:53:02.81 id:gs0TDaZj0
江戸を語る人骨1万体 小柄な体・栄養失調・伝染病
東京都内の開発で掘り出された人骨を、国立科学博物館(科博)が大量に保管している。ざっと1万人分。江戸時代の骨がほとんどで、今よりも小柄で栄養状態も悪かった。時代劇のイメージとは違う江戸の人々の厳しい暮らしぶりが、浮かび上がってくる。

「この頭の骨は左の側面に鋭い刃物の傷が2本。日本刀で斬り殺されたのでしょうね」「青黒いシミがついたこちらの骨は、梅毒の痕跡ですよ」新宿区百人町の科博新宿分館。人骨がびっしり並ぶ人類研究部の収蔵庫で、人類史研究グループ長の篠田謙一さんが説明する。

研究用に科博は20年ほど前から、開発業者などが持ち込む江戸時代の人骨を受け入れてきた。
分館は来春までに茨城県つくば市に移転する予定で、荷造りを前に人骨の分類やクリーニングが続く。

骨は江戸の人々の暮らしぶりを伝えている。栄養状態が悪く、特に鉄分が不足していた。現代なら死亡率
の低い若い世代の骨が多いのも特徴で、伝染病がたびたび流行し、人が簡単に死んだことを物語るという。

江戸時代の成人の平均身長は男性が150センチ台半ばで、女性はそれよりも10センチほど低い。
日本のすべての時代の中で最も小柄だった。栄養状態が悪いうえに狭い長屋などに密集して生活した
ストレスの影響と考えられるという。「生活は厳しかった。スラムといった方がいい江戸の影の部分が
骨には記録されています」と篠田さん。

>>1
>日本のすべての時代の中で最も小柄だった

マジかよ江戸時代。
意外すぎる

20 : プロキオン(愛知県):2012/05/14(月) 13:02:08.20 id:ibLUYejc0
江戸の町は世界有数の大都市で上下水道が整ってて清潔で民衆は娯楽に興じる余裕があって
文化的に豊かな暮らしをしてたしとかあれ嘘か。

180 : レグルス(dion軍):2012/05/14(月) 14:55:21.56 id:XRUwLV6eP
>>20
一言で言えば嘘。
いろいろな限定を加えればかろうじて事実。

たとえば「江戸では上下水道が整っていた」ってのも、
「かなり地域的に制約されていた」という限定を加えれば嘘ではない。

21 : はくちょう座X-1(大阪府):2012/05/14(月) 13:02:09.60 id:tNT1Gu4C0
小型化してたのか。究極の省エネ。

22 : カストル(チベット自治区):2012/05/14(月) 13:02:37.97 id:PpeYQP7l0
江戸時代はパラダイスとかいうスレを何回も見たんだけど

ブラタモリに洗脳されたー
庶民も動物園行ったりしたとか、衛生的だったとか聞いたんだが

食糧事情でいうと江戸時代は日本の歴史上一番貧しい時代かもね。
新しい食文化も生まれたけど、何しろ絶対的な食糧供給量が少な過ぎた。

ま、一時期には第二次世界大戦中が酷いけど。

>>120
背が低かったってのは有名
むしろ、江戸時代の平均身長に引っ張られて、割と最近まで
日本人はずっと成人男性で150センチ代半ばくらいだと思われてたのが、
発掘された骨の研究で、江戸時代より前はもっとでかかった、と知られるようになった

124 : ヘール・ボップ彗星(東京都):2012/05/14(月) 14:03:20.58 id:UoVJZXF00
江戸時代は豊かな生活を送っていた厨完全敗北か
俺の説が正しいことがやっと証明された

弥生以降右肩下がりだな
やっぱ米食がわるかったのか?文明開化で一気に跳ね上がってるし

>>140
江戸時代にはもう三食食べる習慣があったし
もちろ全部日本食だったのにこのザマだよ

誰だよ江戸時代はエコで平和で幸せだったとか言ったやつは

そもそも家庭を持って子供を作ったのは江戸の人口の二割程度だったんだろ

175 : 青色超巨星(茨城県):2012/05/14(月) 14:51:20.73 ID:3AdpJwqi0
マジレスすると、小田原城に展示してあった甲冑を見たんだが
子供服?ってくらい小さかったな

昔は江戸時代が暗黒時代見たいに言われてたけど
最近逆に持ちあげられ過ぎてる気はするね

栄養状態が良かったはずの天皇家の連中がちっさいのは何故か?

>>03
江戸時代は権力を持っていたのは武家だから、公家や皇室はかなり貧乏生活を強いられていたらしい。名誉はあるけど、金はないという状態。体面だけは保たなければならないからある意味、庶民より大変。