二ビル通信

えげつない問題を勝手気ままに取り上げるブログ


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俗説とは違う江戸時代の実態


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江戸時代の農民は豊かだった?

 「四公六民」という言葉を聞いたことがありますか。江戸時代の年貢の割合のことで収穫の4割が年貢で6割が手許に残るというものです。今でいうと税率が40%と大変な負担感があり、「貧しい農民」という時代劇のイメージ通りになるのですが、実態は必ずしもそうではなかったようです。
 当時、年貢の計算方法には「検見法(けみほう)」と「定免法(じょうめんほう)」の2種類がありました。検見法とは実際の収穫高に応じて年貢の率をかけるものです。定免法とは一定の田地から取れる米の量を固定して、年貢も定額にするというものです。江戸時代も中ごろからは後者の定免法を取る藩が多かったようです。江戸時代は戦乱もなく農業技術が順調に発展した時代です。江戸時代前期には100石の収穫量だった田も江戸時代の後期には2倍の200石の収穫にまでなることも珍しくはありませんでした。100石の収穫に対して年貢は四公六民の40石ですが、実際には200石の収穫があるわけですから二公八民、税率は20%となります。そのうえ、自家で消費する野菜等には年貢は原則かかりませんので、生活実態は時代劇とはかなり違っていました。

所得税、住民税、社会保険料等を否応なく天引きされる現代のサラリーマンと江戸時代のお百姓さん、はたしてどちらが豊かなのでしょうか?
「〇〇の上の雲」とか幕末維新の志士を英雄としてとらえるドラマが盛んに放送されています。「江戸時代は貧しく、明治時代は明るかった」という図式を私たちの頭の中に刷り込む目的がここに隠されていると思うのは筆者だけでしょうか。(2011.8.23)


意外だった旧ソ連構成国の識字率の高さとイスラムの低さ

共産主義とはソヴェーエト権力プラス全国の電化である」という有名なスローガンを唱えたのは、ロシア革命のカリスマ的指導者レーニンだが、「全国の電化」とは、ヨーロッパの辺境地ロシアが近代化する必須条件であったから、まさに正鵠を射たスローガンであった。
レーニンを個人的には好かないが、この一言でも彼が非凡な革命家、思想家、指導者であったことが分かる(写真は、十月革命の最中のペトログラート労農兵にアジ演説を行うレーニン)。

実は「共産主義とは教育」
さて、このスローガンで触れなかられなかったが、年上奥さんで教育学者でもあったクループスカヤの影響もあってか、レーニンが注力した政策がもう1つある。
それは、文盲のムジーク(農民)が大部分を占めたロシア民衆の教育であった。連立相手の左翼エスエルを追放し、誕生したばかりのボリシェヴィキ権力を反革命から防衛し、遅れたロシア国家を重工業国家に発展させていくためには、識字率の向上は不可欠であった。
もう1つ、教育は、ボリシェヴィキ政権にとって、自己のイデオロギーを国家の隅々にまで広めるのに必須条件であった。文盲が多ければ、レーニンが重視した新聞(共産党機関紙「プラウダ」)による共産主義イデオロギーの宣伝が頓挫する。
こうしてボリシェヴィキ政権は、広大な全国土に学校を建設していったのである。もちろん共産主義イデオロギーを身につけた教師をも大量養成していった。
その成果を、私はある友人の日記で引用されたたウィキペディア識字率からはっきりと確認できたのである。

旧ソ連構成国の高い識字率
ウィキには、2002年時点のUNESCOが公表した国別の識字率が、一部掲載されている。ウィキによると、日本の99.8%という数値を含めデータの信頼性は低い、と注釈が付いている。しかしおおまかな傾向は、把握できるだろう。
私が注目したのは、旧ソ連構成国の他国より飛び抜けて高い識字率である。多少の誇張はあるかもしれないが、かなり実態を表していると思う。
旧ソ連構成国は15共和国あったが(モンゴル人民共和国ソ連の事実上の属国とみなせば16共和国)、ここで引用されているのは、5共和国のみである。
以下、旧ソ連構成国だけを抜粋すると、以下のとおりだ。
・ロシア 99.6%(男性99.7%、女性99.5%)
エストニア 99.8%(男性99.8%、女性99.8%)
カザフスタン 99.5%(男性99.8%、女性99.3%)
タジキスタン 99.5%(男性99.7%、女性99.3%)
キルギス 98.7%(男性99.3%、女性98.1%)
ご覧のように、キルギスを除いて、軒並み99%を越えている。これは、思えば凄い数字である。識字率に男女差のないことも、後述するように注目点の1つだ。
例えば、EU加盟国では、唯一掲載されていたポルトガルが92.5%(男性95.0%、女性90.3%)であることを思えば、超先進国水準である。ちなみに日本は、99.8%だ(男性99.9%、女性99.7%)。

遊牧民の地域を高度な教育国家に変えた
特に途上国の、インド58.0%(男性69.0%、女性46.4%)、パキスタン41.5%、(男性53.4%、女性28.5%)、バングラデシュ41.1%(男性50.3%、女性31.1%)、アフガニスタン36.3%(男性51.0%、女性20.84%)、ニジェール17%(男性25%、女性9%)などと比べると、群を抜いていることが分かる。
ちなみにエストニアは、ロシア革命までは帝政ロシアの領土であったが、第2次世界大戦前夜の1940年にスターリンソ連に編入されるまで、自由なヨーロッパの一員だった。だからこれは除いても、カザフスタンタジキスタンキルギス識字率の高さは際だっている。
この3カ国とも、ロシア革命までは、ノマッド遊牧民の土地であって、明確な国民国家が存在していなかった。おそらくほんの一握りの藩王、宮廷官僚、書記を除けば、ほとんど文盲であったはずである。
しかしボリシェヴィキ政権の赤軍の進駐に伴って暴力的に進められた社会主義革命は、野蛮な遊牧民の地域を高度な教育国家に変えたわけである。罪のみが目立つスターリン主義に唯一の「功」を認めるとすれば、共産主義イデオロギーの注入に不可欠だった教育水準を、全連邦レベルで高めたことであろうか。
もっともソ連に編入された国は、キリル文字によるロシア語を国語として強制され、創始改名よろしくロシア風の父称と姓を名乗ることも強いられたのだが。そしてまた多数の亡命者を出した。


ついでに注目したのは、後段で挙げた5カ国のうち、インド以外はすべてイスラム国家であるという事実だ。
貧困の以前に、イスラムによる女性の抑圧が見て取れる。女性は、男性の半分くらいの識字率である。特にかつてタリバーンが支配し、女性を教育から閉め出したアフガニスタンの「女性20.84%」が、この国の困難さを象徴しているようだ。
文盲の母親は子どもに字を教えられない。すると、男の子の修学意欲も阻害する。

江戸時代の識字率が世界一とか、根拠が有るのですか?
無責任な学者や評論家が勝手に日本人を持ち上げているだけではないですか?

その方が視聴率が稼げますからね。

江戸時代の教育程度を語るとき よく引き合いに出されるのが
幕末にやってきた外国人の言葉です
「家の下働きの女中でさえ手紙を書く」という種類のものですね
そして同時に「寺子屋」の普及率が 挙げられます
これってどうなんでしょうね?
当時の外国人が どこと比べて「識字率・・・いわゆる読み書き能力が高い」と言ったのか わかりませんし 
どちらにしても「江戸」のような大都会に関してのことでしょう
「長屋の子でさえ 読み書きができる」というのも おかしな話です
当時の町人は ほとんどが長屋に住んでいるからですね
中流家庭で いずれ奉公に出す子は もちろん寺子屋に行ったでしょう
そもそも 外国人の家に女中に出る子は ある程度 教育を受けた子だったと思います

お気に入りの磯田道史さんが 江戸初期の識字率のことを書いています
井伊直政・直孝のころの「彦根往古ノ聞書」という文書によると
「大将でさえも 野卑で無筆が多かった
 武士・町人・百姓はなおさらで二十人に一人・二人は 筆とる人もいたが
 これとて いろは書きに女文字ですませていた」
つまり江戸初期には 成人男子の識字率が平仮名程度でも10~15%に過ぎなかったのです
もちろん「江戸時代」は 270年近く続いてます
都市の巨大化に伴い 識字率は増えたことでしょう

でも じゃあこんな話もあります
これは明治になってからの池田弥三郎氏の曽祖父・祖父の話です
ご存知 氏の家は 銀座の「天金」 
初代は 文政2年(1819)の生まれで もちろん天ぷら屋と言っても 路地での屋台店でした
この人は明治23年に亡くなり その養子の二代目(弥三郎の祖父)は 32年に亡くなっています
この二人の内 どちらかはわからないが 「無筆」だったと 弥三郎氏が書いています
何かの証文に「天金 無筆につき○○代筆」と あるのだそうです
これがくやしくて 二代目の未亡人は 次男の大伍(弥三郎の伯父で劇作家「西郷と豚姫」など)
を大学まで出したのだとか

明治になってからの義務教育の様子を見ても 明治33年(1900)
授業料が やっと無料になってから生徒が増え
進学率(小学校ですよ!)が90%を越えるのは 15年後 大正4年です

私は以前 地元の中学校の会長をなさっていた方にインタビューしたのですが
昭和の戦前には 公立中学は数も少なく 当然学区も広く
多摩川を越えてくる生徒は 水が出れば来ない 農繁期も来ない
それが当たり前だったというので 中学校とはいえ 小学校の場合も
推して知るべしだったのではないでしょうか?

前から 疑問に思ってたんですが 「無筆」は恥として 誰も言わないだけ
結構いたんじゃないでしょうか?
身の回りでも 男性は別として 明治生まれの父方の祖母は 高等女学院まで
出ていましたので 「あららぎ」に 俳句を投稿してたという話も聞きましたが
母方の方は 本読んでる姿を見たことないですね
江戸の識字率・・・なんだか迷信みたいな気がするけど あなたはどう?


月猫さん、最近読んだ「明治珍聞録」に、江戸時代祖先の
俸禄を受け継ぐだけの武士に、無学がいくらでも居たと
書いてありますね。

明治以降 数字でわかるようになっても そんなにみんなが
小学校行ったわけでもないみたいだし・・・
今より貧富の差が大きかった時代は トータルで言うと
そんなに識字率が高かったとは思えないよね
特に 女性は 日々の家事に追われ すわって本読むなんて
悪いことだったみたいだし・・・

はじめまして。一年ほど前にこちらのサイトを見つけ、それからはいつも楽しみに読ませていただいています。
ご存知かもしれませんが、国立教育政策研究所の斉藤泰雄さんという方の論文によると、明治16年に明治政府が調査したところ、江戸時代末の寺子屋数は15560校、平均の寺子数は男児42.9人、女児17.5人で、男女比の地域差はとても大きかったようですが、確かに幕末にはかなりの人が読み書きできたのかなと思います(文部省編『日本教育史資料』・明治25年)。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cice/publications/15-1-04.pdf
(この論文の中の、明治20年ごろの自分の名前が書けないものの県別、男女別比率のグラフにショックを受けました。どこに生まれるかって大事なことですね。)

実は拙宅長野の土蔵には明治大正の教科書が山のように眠っています。
廃藩置県によって村役人の職を失ったご先祖が教師への道を進んだためです。
そう、江戸時代に農村ではごく数人字が読める人、年貢の計算ができる人がいればよかったのです。
しかし都会の商家ではそんなことは当り前でした。字が読めず計算ができなければ手代や番頭になれませんから、天金さんはレアケースでしょうね。
人様の子を預かった商家では独自に読み書きを教えたり、寺子屋へ通わせたものと思われます。
そして都会の識字率というより、絶対的識字者が増えました。

ところで、江戸後期の百姓の文章を見て驚くのは語彙の豊富さです。
「畦畔」(けいはん)、「圃場」(ほじょう)などという漢語が氾濫して
います。「たんぼやはたけのあぜ」や「たんぼ」のことでしょう。

地方の過疎化 学校の統廃合 教育県にも及んでいるのですね
先日 小学生が統廃合に抗議して自殺した事件がありました
少人数でもきちんと教えられる江戸の寺子屋制度
うまく取り入れられないのでしょうか
本当に残念なことですね
教職をとっても仕事がない先生もたくさんいるのに・・・