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二ビル通信

えげつない問題を勝手気ままに取り上げるブログ


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金融の歴史 迫害された者の歴史


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■金融の歴史は、迫害された者の歴史でもある

●「いつでも逃げられる仕事」、それが金融業だった
銀行や証券会社は、学生の就職人気ランキングの上位に入る業種です。これらは金融業と呼ばれますが、その歴史はどのようなものだったのでしょうか?時代は4000年の昔にさかのぼります。そもそも金融とは、貸し手が借り手に資金を融通することです。借り手に返済を求めない場合を贈与といい、返済を求める場合を貸借といいます。貸借の場合、借り手(債務者)は貸し手(債権者)に対して返済と同時に利子を支払うのが一般的です。
古代バビロニアハンムラビ法典(前18世紀)には、楔形文字でこう記してあります。「商人が穀物1クールに対し60クーの利息を超過してとったときは、彼が与えた(貸与した)ものを失う」。国家が、利子の上限を定めた最古の規定です。

●農業と金融の意外な接点
これより古いシュメール人の法典にも、利子の存在を匂わせる規定があり、農耕文化とともに金融は始まったようです。農業は、種まきした量の数倍の収穫を期待できます。農民に種を貸し、収穫時に元本と利子をとったのが金融の始まりでしょう。古代ギリシア都市国家アテネには、利子をとって融資を行う銀行が存在しました。

●「持ち逃げできる資産」を蓄える必要があった
金融業者として活躍した民族として、フェニキア人、ソグド人、アルメニア人、ユダヤ人、客家がいます。いずれも、強大な異民族の支配を長く受けた少数民族です。そのため課税対象になりやすい固定資産(土地や建物)ではなく、持ち逃げできる金融資産(貴金属)を蓄え、これを異民族に貸して、利子をとることで利益を上げました。
フェニキア人は中東のレバノンを本拠地とし、北アフリカカルタゴという都市国家を建設して地中海貿易を独占するまでに至りました。しかし強大化し過ぎたことがローマを警戒させ、3度にわたるポエニ戦争に敗北してローマに併合されてしまいました。
ソグド人は、中央アジアのオアシス地帯(現ウズベキスタン)を本拠地とするイラン系の商業民族です。子どもが生まれると、良い商人になるようコインを握らせ、口に蜜を含ませました。シルクロードの交易を独占したほか、資金力とネットワークを使って各国の政界にも進出しました。唐の玄宗皇帝と楊貴妃に仕え、のちに大反乱を引き起こした軍人の安禄山も、父親がソグド人でした。彼らはまたウイグル王国、モンゴル帝国の官僚としても活躍します。

●現代にも影響力を持つアルメニア
アルメ二ア人は、トルコ東部黒海カスピ海の間に住む少数民族です。古代アルメ二ア王国がローマとイラン(ササン朝ペルシア)によって分割支配されたあとも、アルメ二ア人は独自の言語・宗教を保って商業民族として生き残ります。後に、イランと欧州諸国を結ぶ中継貿易で栄え、近代になるとロシアとオスマン帝国に分割支配されました。第一次世界大戦中、オスマン帝国内のアルメニア人は、イギリス・フランスの支援を受けて独立を図り、オスマン・トルコ軍との衝突で多くの犠牲者を出しました。これについてトルコ側は「内戦による犠牲者である」という立場をとっていますが、アルメニア側はこれを「アルメニア人虐殺」と呼び、今もトルコ政府を非難しています。この論争に対し、フランス議会やアメリカ議会がトルコ非難決議を可決しています。つまり現在なお、西欧諸国やアメリカでは、アルメニア人が一定の政治力を持っており、無視できない存在であるということです。

●「中国のユダヤ人」はこうして生まれた
中国でも、戦乱で中原(黄河の流域)から追われた人々が、広東省福建省など南中国へ移住し、中原地方の古い言語・風習を維持して客家と呼ばれています。文字通り、「よそ者」という意味です。客家は、移住先では山間部の貧しい地域に住むことを強いられたため、農業ではなく商業金融活動に活路を見出し、「中国のユダヤ人」とも呼ばれます。海外に移住した中国商人、華僑の多くは客家の出身です。フィリピン、インドネシアなど東南アジア諸国には多くの華僑が住んでおり、経済はもちろん、政治的にも大きな影響力を持っています。また客家は教育にも力を入れ、科挙(官僚採用試験)の合格者を輩出し、政界にも進出します。中華民国を建てた孫文中華人民共和国で改革開放政策を進めた?小平、台湾民主化を指導した李登輝、いずれも客家の出身です。