二ビル通信

えげつない問題を勝手気ままに取り上げるブログ


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過去の破局時の様子 梅田の闇市


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米国債暴落を皮切りとする、経済破局の時期が迫っています。過去の破局では、どのような事態が生じ、大衆はどのように動いたのか。昭和20年当時の梅田の闇市の様子を紹介します。

大阪に闇市が生まれたのは敗戦直後の昭和20年9月頃だといわれています。復員兵を目当てに蒸しパンやサツマイモ等を売る人が現れたのが最初で、大阪駅東口前の広場には、朝早くから食料品などが並べられ夜遅くまで賑わっていました。

昭和20年10月25日、当局による最初の手入れが行われます。しかし一週間も経たないうちに闇市は復活しました。11月に入ると、大阪駅周辺の露天商人の数は300人以上に膨れ上がります。これは、政府の配給が各家庭に回らず、多くの人達が今日食べるものさえ心配する状況があったからです。

昭和21年、「大阪府自由市場連合会」が結成され、大阪駅周辺を統括する「梅田露友組合」が結成されました※。これは自らの手で販売価格の適正化を目指し、自由市場の健全化を図ろうとしたものです。

しかし、大阪府警察部は昭和21年8月1日、大阪府下全92ヵ所の闇市閉鎖を断行します。ただ庶民にとっては相変わらず配給が約束されず、栄養失調の子供も数多くいました。大阪の人達は食料を求め、まだ閉鎖されていない神戸や農村に買出しに出かけなければならなかったそうです。

※梅田の闇市には、「梅田露友組合」以外にもいくつかの組織がありました。そして犯罪やトラブルが起きていいたのも事実のようです。さらに、それらのトラブルを治める大親分のような人もいたようです。