著作権に官権力が及ぶ範囲
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※■名乗り出なければ「依頼者が著作者」ということに!
――そもそもゴーストライターは、著作権法上からはどういう存在になるのでしょうか?
岩沙弁護士 あくまでもゴーストライターが著作物を「創作」した者として「著作者」となります。ただ、その作品をゴーストライターに依頼した者(以下、「依頼者」といいます)が、著作者であると表示されている場合は、著作権法第14条により、依頼者がその作品の著作者であることが推定されるので、依頼者が著作者として扱われてしまいます。
ですので、ゴーストライターは、本人が名乗り出るなどして、真の著作者であることが証明されない限り、裁判上、著作者としては扱われません。
――なるほど。ゴーストライターが表に出ない限りは、依頼者が著作者ということになってしまうのですね。
岩沙弁護士 ただし、ゴーストライターが、自身が著作者であると主張した場合には、依頼者とゴーストライターのどちらが「実質的にその作品を創作したといえるか」で著作者が判断されます。
誤字、脱字の修正や、大まかなコンセプトを伝えるだけなど、依頼した側の創作への関与が希薄な場合、著作権法第14条の推定は覆り、法律上、ゴーストライターが著作者であると判断されるでしょう。
■実はゴーストライター契約もグレー!?
――例えば、後になってその楽曲なり原稿なりが、ゴーストライターの手によるものだと発覚した場合、その著作権はゴーストライターに帰属することになるのでしょうか?
岩沙弁護士 まず著作者の権利には、「著作者人格権」といって、その作品の作者として氏名を表示する権利などの人格的な権利、「狭義の著作権」といって、作品を使用することで収益等を上げる財産的な権利、の二つの側面があります。
ここで、ゴーストライター契約について考えてみましょう。
ゴーストライター契約とは、
(1)依頼者がゴーストライターに対価を支払うことにより、
(2)ゴーストライターから依頼者に対し、「狭義の著作権」を譲渡するとともに、
(3)ゴーストライターに「氏名表示しないこと」を約束させる契約
をいうものと考えます。
しかし、(2)の「狭義の著作権」については法律上譲渡が可能ですが、(3)「著作者人格権」については、「著作者の一身に専属するもの」であり、「譲渡することができない」とされています。
――著作者人格権は譲渡できないのですね。
岩沙弁護士 はい。そこが重要です。つまり、ゴーストライター契約を結んでいたとしても、ゴーストライターは、「その作品の著作者として自らの名前を表示する」という「著作者としての権利」を有したままになるのです。
さらに、そもそも、このゴーストライター契約が有効であるかどうかも疑問が残ります。
――契約自体にも問題があるのですか?
岩沙弁護士 一般的には、当事者間で合意ができれば、その内容で「契約」が成立します。しかし、その内容が公序良俗に反する場合には、契約は無効となります。
ゴーストライター契約については、「公序良俗に反し、無効である」と判断している裁判例も存在します。ゴーストライター契約が無効となった場合、狭義の著作権についても、ゴーストライターに帰属していると判断される可能性があります。
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「佐村河内騒動」とジョン万次郎
「全聾の作曲家」「現代のベートーベン」などと呼ばれていた「作曲家」佐村河内守氏が、実はゴーストライターに作曲を依頼していたことがわかって波紋を呼んでいます。「ヒロシマ」や「ハンディキャップ」を売りにしてきたことと、今回の事態とのギャップが、大きな衝撃を与えているものと思います。
今回の件は、音楽業界はもちろんですが、各方面で議論を呼び起こしていて、百家争鳴の状態ですが、このうち、著作権に関する部分だけに絞って考えてみたいと思います。過去の裁判例では、土佐のジョン万次郎に絡むある事件も参考になります。
(写真は土佐清水市にあるジョン万次郎像)
■今回公表に至った発端は、今年の2月6日発売の週刊文春に暴露記事が掲載される前日に、佐村河内氏が代理人弁護士を通じて、「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などの主要な楽曲が、別の作曲家によって作られたものだと明かしたことからでした。その際は、実際の作曲者が誰なのかまでは不明でしたが、翌6日に、新垣隆氏(桐朋学園大学非常勤講師)が記者会見を開いて、自分が佐村河内氏の代作者として18年間作曲を行っていたことを明らかにしました。その報酬は18年間に20曲以上作って720万円であったと言います。その後、佐村河内氏は謝罪文を公表して、近いうちに公の場で謝罪するとも述べました。今後も何らかの進展があるものと思います。
■著作者名詐称罪?
著作権法との関係で、まず、気になってくるのが、「著作者名詐称罪」を定めた著作権法121条です。
同条は、「著作者でない者の実名又は周知の変名を著作者名として表示した著作物の複製物を頒布した者は、1年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」としています。
この刑罰規定は、例えば、ある読者が、とある著名人の著書であると期待して書籍を購入したが、実際は別の人物が書いたものであった場合などのケースが想定されていて、こういった読者の期待を裏切るような反社会的行為を処罰の対象としたものです。
今回の佐村河内守氏の件で言えば、既に「現代のベートーベン」などと言って有名になっていた彼の創作音楽だと信じて、そのCDを購入した者にとっては、実際は障害を持たない別の人物が作曲したものであったわけで、形式的にはこの罪に該当しそうな気がします。
ただ、より厳格に言うならば、この犯罪の構成要件は、そういった著作者名が詐称された著作物の複製物(頒布するために複製されたもので、CDや本などがこれに当たります)を頒布する行為、つまりは直接の行為者はCDなどを作って販売するレコード会社などがあたるのですが、今回は、そういった会社も事実を知らなかったようなので、過失行為を問わないこの罪は、レコード会社には適用がありません。しかし、事情を知らないレコード会社をだまして販売行為をさせた側は、間接正犯としてこの罪に問われる可能性があると思います。この点では、佐村河内氏と新垣氏の共同正犯的な位置づけになろうかとも思います。しかし、過去の判例とも絡んで、実際にこの罪に問えるかは大きな疑問となっています。
■大審院大正2年6月3日「三体新書翰」仮装著作者事件無罪判決
この点の問題点として、今回のように、著作者として氏名が表示された者の同意があった場合にどうなるか、という点があります。
つまり、新垣氏の作曲を佐村河内氏の名前で出すことについて佐村河内氏の同意があった場合に、著作者名詐称行為の違法性がなくなるか(違法性阻却事由となるか)ということです。
実は、この点に関して、現在の著作権法121条と同様な罪を定めていた旧著作権法第40条に関して、かつて大正時代の大審院が「他人の氏名称号を自己の著作物に掲げることにつき、その者(著作名義者)の同意があるときは、本罪は成立しない」として、無罪判決を下しているのです。この判例に従うならば、今回の佐村河内氏の件も、この罪に問うことはできません。
この大審院判決に対しては、当時、学者の間では大きな論議を呼んでいたようで、賛成する立場(木村篤太郎弁護士)とこれを批判する立場(佐々木惣一博士)が論争していたようです。加戸守行著「著作権法遂条講義(新版)」には、この判決の解説が掲載されていますが、この本(583頁)では、大審院判決に疑問を示しています。
その部分を引用すると、「詐欺的行為を制裁するという観点からすればこのような結論が出てこないはずでありますし、もし、著作名義者の同意を違法性阻却事由と解するならば、有名な作家・学者等と発行者との共謀による詐欺的行為がまかり通ることになるほか、他人の著作物に自己の氏名を表示する行為はすべて犯罪にならないという論理的帰結を導き出すことになります。」とあります。
その上で、この大審院判決の考え方に対しては、現行著作権法立案段階で名義者の同意が違法性阻却事由にはならないようにしようとの動きがあったものの、結果的には、旧著作権法の規定を踏襲しながら最高裁における判例変更を期待するにとどめたといういきさつが紹介されています。しかし、今のところ、そういった事案が係らなかったせいかもしれませんが、新たな判例は生まれてきていません。
■ゴーストライター契約(代作契約)の有効性
ゴーストライターとは、書籍や記事、作曲などの「代作」をする著作者のことです。本人の話をそのまま書く「口述筆記」から、本人が書いたものを読みやすくするもの、さらには大半を代わりに書き上げるものまで、様々なケースがあるようです。芸能人や野球選手などの有名人の本などの多くはこの形態での出版だと思われます。先ほどの「著作者名詐称罪」は、読者が有名人の著書と期待して書籍を購入したが実際は別人の著作であった場合などの社会的法益の保護を目的としていることからすると、有名人に成りすまして書き上げるこの種事例も、形式的にはこの罪に該当することになります。
ただし前述の大審院判例からは無罪となりますし、こういったタレントやスポーツ選手の本がゴーストライターによるものだということは、何となく社会的にも認知されているようにも思えますので、あえて判例を変更して有罪にしなければならない必要性も無いとも思えます。
しかし、ゴーストライターと著作者として表示される本人との間で、実際の著作者(ゴーストライター)の権利を著者に譲渡し、真実の著作者が誰であるかは公表しないという「ゴーストライティング契約」を結んだ場合(契約書がなくともその種の合意があった場合も含む)、そういった契約が有効なのかという問題があります。これは、そういった合意をしたゴーストライターが、あとから「自分が著作者です」と名乗り出て著作権や氏名表示権を主張したとしたら認められるのでしょうか。今回の佐村河内氏と新垣氏との間で、どのような合意があったのかはいまだ不明ですが、こういった問題が生じる可能性はあります。
■ジョン万次郎像事件控訴審判決(知財高裁平成18年2月27日判決)
これは、高知県土佐清水市の公園にあるジョン万次郎の銅像をめぐり、彫刻家N氏が「作者は自分」として、台座に記名のある彫刻家O氏を相手に氏名表示権(著作者人格権)の確認などを求めた訴訟の控訴審判決で、著作者名を他人名義にする合意は著作権法121条に触れることを根拠に無効と判断し、N氏の請求を認めたものです。
この事件では、この銅像の台座部分などにO氏の通称名が記載されている点について、制作当初からN氏はそのことを認識していたにもかかわらず、30年にわたってなんら異議を申立てていなかった等の事情があったようで、このことから、O氏側は、銅像にはO氏名義で氏名を表示し、N氏は銅像の著作者としての権利を主張しない旨の合意が双方に存在していたと主張していました。
これについて、上記判決は、そういった合意は明示的にも黙示的にもないとしたうえで、「加えて、著作者人格権としての氏名表示権(著作権法19条)については、著作者が他人名義で表示することを許容する規定が設けられていないのみならず、著作者ではない者の実名等を表示した著作物の複製物を頒布する氏名表示権侵害行為については、公衆を欺くものとして刑事罰の対象となり得ることをも別途定めていること(同法121条)からすると、氏名表示権は、著作者の自由な処分にすべて委ねられているわけではなく、むしろ、著作物あるいはその複製物には、真の著作者名を表示をすることが公益上の理由からも求められているものと解すべきである。したがって、仮に一審被告(O氏)と一審原告(N氏)との間に本件各銅像につき一審被告(O氏)名義で公表することについて本件合意が認められたとしても、そのような合意は、公の秩序を定めた前記各規定(強行規定)の趣旨に反し無効というべきである。」としました。
■著作権の譲渡との関係
上記のジョン万次郎像の事件では、著作権自体の譲渡合意もないとされましたが、今回の佐村河内氏の件では、新垣氏から著作権自体の譲渡を受けていたのかどうかまでは不明です。対価は受け取っていたようですので、その可能性はあるかと思います。ただ、その場合でも氏名表示権は、新垣氏に残り、ジョン万次郎像事件での判例からすると、新垣氏が著作権者名(作曲者名)の表示を自分にするように求めることは可能と解されます。したがって、仮に著作権譲渡があった場合は、楽曲の著作権は佐村河内氏に帰属しているとして、同氏が楽曲の利用許諾を行うことができますが、作曲者表記については新垣氏が求めればその名義になるものと思われます。
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著作権について、商標登録をすることで副次的なメリットがでてきます。
それは、著作権の発生時期について争いが生じたときです。
例えば、著作権侵害が起こったときに著作権の所在や創作年月日などを証明する必要が生じる場合があります。このとき商標登録をしておけばその立証が容易になるというメリットです。
さらに、著作権は、他人の著作物に依拠せずに、つまり誰かのまねをせずに創作してその結果、たまたま似てしまったような場合は権利行使が制限されます。つまり自分が独自に創作したものがた偶然他人の著作物と似ているだけでは、著作権侵害にはならないことがあります。
著作権裁判の話6 和解案の記事が長野の新聞に載ったらしいので金額的なこと。使用箇所の多さから170万の請求、裁判所の和解案20万、最終和解50万でした。弁護士費用50万、判決なら裁判所は6万って脅してきた。裁判費用はこちら、使われた上に50万払えってこと。著作権裁判は無駄ってこと
パクった証拠
著作権は商標権、意匠権、考案権、特許権などと違い絶対的な権利ではない。
Aが作ったモノとたまたま同じ物になった場合は著作権侵害にはなりません。
東京オリンピックのロゴも佐野氏がパクったと認めない限り問題ない。
要するに後から作れるものはダメですよ。
①なんか、年月日書くだけなら誰でも出来ます。
紙に書いてあるだけじゃあ、証拠能力がありません。
②なんか、いくらでも用意できるでしょ。
③出来るわけない。裁判官に勝手に探せって
言ってるようなもの。怒られるよ。
盗作だとしても、盗んだルートの可能性がなければ
なりません。
その音楽事務所に作品を送り続けていた証拠とか
あるいは、貴方がすでに発表してた証拠があるとかね。
実は私の作ったものですと言うだけでは、話になりません。
なんか、全然勝てそうな気がしない。
裁判自体成立しない気がしますね。
とりあえず、その方面に詳しい弁護士を探すのが先決
じゃないですかね。
多分弁護士に「無駄になりますよ」って言われるとは
思いますが、何事もやるだけやってみるのが大事です。
著作権者である企業からすれば、著作物や企業のイメージを大幅に損なう場合を除けば、いちいち二次創作に構っている時間もお金もありません。従って、単なる一個人が著作権者に二次創作をしてもよいかと公式に問い合わせを行えば、著作権者である企業は時間も金も浪費する審査など行わずに、却下するでしょう。
逆に、公式に問い合わせをしなければ、余程問題になる場合を除いて、単なる一個人の二次創作に構ってくることは無いでしょう。そんなことをしても、著作権者である企業が得られる賠償金等は微々たる物で、訴訟の為の時間・金・人的資源の浪費にしかならないからです。
従って、これらの状況を総合すると現状の二次創作は、グレーゾーンという名のブラック状態なのです。
コミケ=海賊版闇市
ワンフェスの当日版権グッズのように版元が公認すれば解決しそうだがそれができない猥褻な二次創作本が多いから
好きな物を好きと言って結構。
自由に表現して結構。
ただし自分のブログなんかに掲載して世界中の人々に無料で見せれば良い。
同人誌(笑)という名の海賊版で闇市で金儲けして税金も払わない行為に正義はない
26 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:18:22.45 id:sJuyyDze
日本にオリジナリティなんてないじゃん
家電にせよ車にしろ外国のモノを研究してアレンジしてきた歴史があるし、日本は二次創作国家じゃん
28 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:19:00.28 id:cnA/s01c
>>24
つまり運営がコピー商品の温床と思われたらアウトじゃね
今はBOOTHあるし
29 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:19:17.69 id:sJuyyDze
日本人はオリジナルものは作れないよマジで
30 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:21:06.40 id:fdqo+796
>>28
それはそれで面白いな、むしろ市場的にコミケよりそっちの方が問題だろうし
日本の二次創作自体の壊滅を意味するが
31 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:24:14.45 ID:+W8VhFZF
>>22
金の有無は大いに関係あるぞ?
非営利の二次創作は権利侵害ではないとされている
33 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:24:55.37 id:sZ6dGdaq
>>6
どうこう言うもんだよ
コミケがあると民度下がるし治安も悪くなる
コミケは禁止した方がいい
34 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:25:49.10 id:sZ6dGdaq
パチンコでもコミケでも一緒違法なんだから禁止は当たり前
35 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:27:41.62 id:sZ6dGdaq
日本で創作活動してる奴の9割がパクリ
39 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 13:33:42.05 ID:7CFlmoZ0
コミケは既に大きな金が回る市場だから
廃止するとなったら潰れちゃ困る各団体が
「二次創作は文化」などの理屈を持ち出して騒ぐに決まってるし
一般参加者もそれとは知らず同調するだろうし
コミケなんて今や大半が儲け目的の絵柄だけ似せて
作品愛の欠片もない二次創作で溢れ返っているのが現状
ファンが集まるところなら小規模に作ればいい話で
あれだけ商業的規模で金が回る場所でやる理由はない
これまではスタッフや健全な参加者のモラル推進によって成りなって来たが
もはやそれだけじゃ支えきれないほどデカくなってしまっている
>>41
コミケを潰すってのは極論だね
コミケを潰せば前例ができて、他の即売会も潰される危険性がある
そもそも、
無許可の2次創作に価格をつけなければいいんだよ
原則、0円で売り買いすればいい
そしたら商業的規模に膨張する心配は無いし
作品愛の糞みたいな2次創作は消えると思うね
もちろん東方みたいに作者が許可してる作品は別だよ
「暗黙の了解」って部分に
権利者も2次創作者も「甘えてる」のが今の実情
権利者は2次創作についてのガイドラインを示し
2次創作者はそれを守ってファンアートを作り、売る。
それをお互いの共通認識として「暗黙の義務」とすればいい
そして作者がガイドラインを示していない作品は原則ゼロ円
無許可の二次創作をやるなってのは言い過ぎだけど
無許可の二次創作が利益を求めるってのは話が別だと思う
同人誌って本来は全部オリジナル作品だったんだから
最初に戻ればいいだけ
62 : なまえないよぉ~2016/01/09(土) 14:41:01.33 ID:L+WU1t+x
【日本国憲法に違反している漫画アニメ業界】
青少年保護育成条例による有害図書指定(Wikipedia)
最高裁は悪書が「青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識に
なつていると言ってよい」とし、またその目的達成のためにはやむを得ない規制で
あるとの理由からこの条例は合憲であるとした
○岐阜県青少年保護育成条例に係る最高裁判決において
「有害図書が青少年の非行を誘発したり、その他の害悪を生ずることの
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厳密な科学的証明を欠くからと言って、その制約が直ちに知る自由への
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制限として違憲なものとすることは相当でない」との補足意見が示されている。
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なお、児童ポルノ漫画・アニメに影響されて子どもに対する犯罪を起こしたと
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裁判所に認定された例がある
http://www.metro.tokyo.jp/INET/KONDAN/2010/01/40k1e102.htm
松文館裁判とは(wikipedia)
松文館から発行された成人向け漫画の猥褻性をめぐる裁判である
松文館の社長貴志元則、編集局長及び契約漫画家が逮捕された事件の裁判である
同社社長の上告が棄却され、第二審判決(罰金150万円)が確定
丸ごとコピーした、オリジナルとそっくりの海賊版だけ対象にすればいい。
むしろ二次創作の自由をもっと広く認めるべき。
オリジナルがきっかけとなって、新たな作品が出てくる。
二次創作に対する、オリジナルの権利者から権利行使を規制したほうがいい。
>>70
製造業ではコピー商品なんて普通にある。
不正競争防止法で保護されるのはたったの三年。
すぐにコピーされて出回るんだよ。
特許や意匠は申請して審査に合格しなければ権利認定されない。
これが普通なんだ。
著作者は資本主義を甘く見すぎ。
世の中をなめてる。
コミケっつっても壁以外はほぼ赤字なんやで
二次創作で金儲けて~って言ってるのはただの情弱だ
著作権は「弱い権利」
まず、権利は自分で行使しない限り、効力を発揮しません。
権利が侵害された場合に、自分で侵害者に警告を発したり、自分で裁判を起こすとか、告訴するとかするしない限り、泣き寝入りと同じです。黙っていたら誰も取り締まってくれません。
そもそも、侵害されていても気づかない場合も多いです。自分で監視しなければなりません。
デジタル技術などの発達によって誰でも簡単に複製したり二次加工したりすることができます。いつどこで自分の著作権が侵害されているのか、それを個人の力で見つけ出すのは非常に大変です。
それから、これが一番大きいと思いますが、著作権はあっても力関係で押し切られてしまう場合もあります。
例えば、ミュージシャンがレコード会社に、作家・ライターが出版社に逆らうことは難しいでしょう。漫画原稿を守る会が空中分解したケースを考えれば、よく分かると思います。
にせ「ベートーベン」騒動で明らかになったゴーストというお仕事
いやはや驚いた。作曲家の佐村河内守氏が作った作品の多くを「私が手がけた」と新垣隆桐朋学園大学非常勤講師が「ゴースト」を告白した。大きく報じたのは『週刊文春』2014年2月13日号(6日発売)。これを受けて新垣氏は同日記者会見した。会見の大枠と文春の記事に大差はない。
何に驚いたかといって「ゴースト」が「ゴーストです」と名乗り出た点である。そもそもゴースト(幽霊)は姿形がみえないから「ゴースト」なのであって「私が誰それのゴーストです」と名乗り出るのは芸能人本を除いてほとんど例をみない。
●ゴーストの存在は公然の秘密
出版界で「ゴースト」の存在は常識だ。文筆を専門としていない有名人に多くみられる。なかには著名な文筆家にも使用者がいる。うち「口述筆記」は口述でも著作物と著作権法が認めているのでライターをゴーストとまでは呼べない。それでも気にする人は文末に「談」と入れる。ただ実際には著作者が2時間程度話した内容をライターや編集者がふくらませたり資料を叩き込んだりして1冊になるまでたどり着き、それを著作者が校閲して出来上がりというケースもままある。読み手の大半がそうと知らないから一種の「ゴースト」ではあろう。
全く著作者がタッチしないか、短いインタビュー(口述筆記とは到底言えないレベル)でゴーストが作ってしまう作品も多々ある。出版だけでなく著作物の多くでみられる。なかには直木賞作家の重松清氏のようにゴーストで数々の作品を手がけながら腕を上げ、受賞して本格作家になった方までいらっしゃる。著作者に関わる大量の資料を読み込んで、あっちからこれ、こっちからあれといった気の遠くなるような作業をして、間をソバでいうところの「つなぎの小麦粉」のような文章を挿入して「新作完成」という場合も。それでも最終稿ぐらいは著作者に確認してもらうのが常であるも、たまには「読まなくてもいい」とする剛の者も存在する。
佐野(´・ω・ `)コピー&ペーストでお金を生み出す錬金術師SANO!
今度は個人ブログから盗用して、母校のポスター制作した!
盗作でお金貰えて幸せ!
母校(´・ω・ `)出身校にまで泥を塗るなんて、なにやっているんだぁー!
ユリアン(´・ω・ `)・・・・もう、駄目だ。
この人。
片っ端から、他人の作品パクすぎです・・・・・
ヤン(´・ω・`)完全に・・・一致してるね・・・・
日本はここまで利権で腐っていたのか・・・
きっと日本って国は、とんでもないウンコ国家だよ、ユリアン
メルカッツ (´・ω・`)(美術大学を卒業しているのに、コピー&ペーストばっかりだな・・・・
大学で一体、何を学んだのだ・・・・?
この男は・・・・?多摩美術大学は盗作した方が楽だとか、そんな事を教えたのか・・・?)
(´・ω・`)ソース(´・ω・`)
今世間を賑わせている佐野研二郎氏。東京五輪エンブレム、サントリーのトートバッグキャンペーンなど数々の類似疑惑や盗用問題が発覚。そんな佐野研二郎氏がデザインした多摩美術大学のポスターにも盗用の疑いがあるとして指摘されている。
2013年に発表された「MADE BY HANDS.」という作品。これはコマーシャル・フォト『MONTHLY ADVERTISING』にも選ばれた作品。しかしそのポスター作品の影絵が個人ブログからの盗用の疑い。
個人ブログに掲載されている「影絵あそび」というエントリーにある、犬の影絵と完全に一致しているのだ。犬の影絵くらい自分で作って撮影したらいいものの、それすらせずに他人のブログから盗用。
先日の大会組織委員会の会見後にも数々の盗用疑惑が浮上し、海外のブログの画像から盗用した疑いが新たに浮上。その内いくつかは既に盗用確定となっている。
母校にまでドロを塗ることをしてしまった佐野研二郎氏。完全に窮地に追い込まれたのではないだろうか。
601:
佐野夫婦の場合、パクリももちろん最悪クラスなんだが、それ以上に発覚後の対応が最悪だったんだよな。
謝罪をせず、逃げ回ったり逆ギレしたり恫喝したり…。
これじゃ数少ない擁護派も離れていくわ。
610:
卒業した小中学校が、兄共に不明なんだっけ?
613:
小保方
佐村河内
どっかの県議
も、恥を承知で会見やったというのに。
佐野はヘタレだなw
616:
もう佐野はコネで仕事もらって名前を出さずに仕事するか、
海外に逃亡して裸一貫再出発するしかないけど、
佐野には能力がないからコネのない海外ではアウト。
もう佐野の名前を表舞台で見ることはないだろうね。
デザイン界から偽物が消えるのはありがたいこと。
620:
本当に本物だけが残ってほしいわ
多摩美閉鎖したほうが良くね?
パクリチェックに費やした2ヶ月はなんだったのか?
あの業界の界隈は腐ってる
疑惑の作品でダメ出し
→また担当者かえて金儲けできるだから
デザイン業界は利権の為だけに存在している
いかにコネを作るか、いかに仲間を増やすか、いかに顧客を言いくるめるか
デザイン業界ってこんな世界なんだろうな
客観的数字と結果が出ないもんだから世渡り上手、嘘つきがはびこってしまう
博報堂追放
これしかない
デザインの「パクリ」と「オマージュ」でお馴染みの佐野研二郎。
元広告代理店の中川淳一郎さんが、佐野研二郎の年収を暴露した。
個人事務所を持つアートディレクターの中でもトップだった佐野研二郎の年収は・・・
3~4億円は貰っているという。
要するにコネ
こりゃ同じデザイナーがキレるぞw
これはもうヒドイ
パクリだけで3億かよw
佐野はもう仕事ダメだろ
芸術もコネがすごいからな
不自然な荒らしは佐野と多摩美の信用失うだけなのにね
荒らされれば2スレ3スレって増えて逆効果だと思うの
もう、多摩美卒の作品は採用するなよ
絶対に
日本人は冷めやすいのか優しいのか、最近話題が途絶えたパクリデザイナーに「佐野研二郎は才能が無く子供でも描けるデザイン」と酷評した漫画家の江川達也氏の動画です!謝罪ができない人は叩かれるよ
「建築家フランク・ゲーリーの展覧会で、主催者が、アートディレクター佐野研二郎氏制作の展覧会グラフィックの撤回を決めた」
触らぬ佐野にパクリなし
注意一秒佐野一生
もうコイツと関わったらアカン
盗人サノザノしいw
新しいなw
佐野デザインはイメージダウンwww
佐野だけじゃなく、
多摩美出身は避けた方がよさそう
創造性の無いパクリ集団であることがわかっちゃたからな
佐野市や佐野氏もイメージダウン
改称だ!
佐野研二郎氏の事件の総括で見えてくる問題の最深部
■ 事例研究として最適なケース
最近になってやっと報道も落ち着いてきたが、東京五輪のエンブレムやサントリービールのキャンペーン用トートバッグのデザイン盗用疑惑でバッシングを受けた佐野研二郎氏の問題は、調べれば調べるほど非常に教訓と課題に富んだケースであることがわかってくる。今でもバッシングに苦しむ佐野氏やご家族にはお気の毒ではあるが、2015年のまさに今現在の日本社会の構造を見事に切り取って断面を見せてくれている。すでに様々な意見や感想も出揃って、中には優れた分析や評価も出てきているが、私も自分なりにこの問題を一度総括しておきたいと思っていた。
本件の経緯を断片的にしか知らないという人には、この機会に一連の騒動の全体像を把握してみることをお勧めする。というのも、個々の断面も実に教訓に満ち満ちているのだが、切り口によっては佐野氏の実像が正反対に見えてしまうくらいレイヤーが複雑に何層にも重なっている。だから、この複雑なレイヤーの統一体を全体として評価することは簡単ではない。だがこの複雑さこそ現代的な問題群を象徴しているとも言え、事例研究としては最適なケース/サンプルになっている。
? 賛否が分かれるブログ記事
佐野氏の記事がメディアを賑わすようになってから、ある著名ブログ(シロクマの屑籠)からバッシングの恐ろしさを懸念する印象的な記事が出てきた。
そうした“リアルの世論”に近い性質を帯びるようになった“ネット世論”が、警察や裁判所や第三者機関を介するでもなく、リツイートやシェアやまとめサイトを経由して増幅し、テレビや週刊誌を先回りするかたちで問題を暴き、批判し、蹂躙していく――その風景が、私にはとても恐ろしく感じられた。
(中略)今日日のインターネットには落ち度のあった人間を引きずり落としてやりたい欲求や、徒党を組んで誰かに影響を与える快楽*1が充満しているわけで、“ネット世論”は誰かを助ける方向以上に、誰かをバッシングし、誰かを引き摺り下ろす方向で働く可能性が高い。
ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠
このブログ記事に対して、著名人/ 識者はこぞって賛意を表明し、このような『集団リンチ』が連鎖し、抑えられなくなることを懸念する。この断面だけで言えば、過去何度も起きた、炎上事件の一類型とも言えるが、今回特徴的なのは、ネット世論の沸騰だけではなく、既存大手メディアの相乗りが目立ったことだろう。この数年、ネットメディアと既存大手メディアが同化とまではいわないまでも、同質 化が進んでいることが指摘されてきているが、ネット世論の持つネガティブな面、時に盲目的なポピュリズムに大手メディアが相乗りして増幅することは、旧来の炎上の歯止めが失われることを意味し、影響力もスケールアップする。多くの識者が敏感に反応したのも無理はない。
ただ、このブログ記事についた、はてなブックマークによるコメント(いわば典型的なネット世論と言える)を丹念に読んでみると、本件を単なる『炎上』事件の一つとして、『リンチ』や『ポピュリズム』というようなステレオタイプな概念で片付け、避難するのは筋が違う、との批判が非常に多いことがわかる。佐野氏の場合は、その後事務所が落ち度を認めた、サントリービールのキャンペーン用トートバッグのデザイン盗用疑惑やその後に出てくる、過去の他の仕事の類似疑惑や無断使用のようなことを含めて、ネット世論が活発に活動することで、明らかに怪しいのにほっかむりしている佐野氏側の悪どい所業を暴くことにつながったのであり、いわば社会の浄化に貢献したのだ、という意見が大変多い。
? 理解されない業界常識
一番初めに問題になった、オリンピックのエンブレムについてだけ言えば、私の周辺の知的財産に詳しい弁護士は、『あれをパクリと断定するのは問題』と口を揃える。実際には裁判で争ってみないとわからないとはいえ、佐野氏が負ける可能性は低い、という意見が多いし、その点は私もそう思う。だが、それ以外の問題はどうなのだろう。
次のブログ記事は、その点について興味深い『暴露話』を披露している。少々長くなるが引用する。
佐野氏の対応に学ぶ「他山の石」総括?「逃げ」と「怒」の広報は自滅を招く(大関暁夫) - BLOGOS(ブロゴス)
大手広告代理店文化とはどういう文化なのかと言えば、すなわちこれこそがパクリ文化、パチモン文化です。私はこの問題が発覚し、それに続いてサントリーのトートバッグをはじめ、またぞろパクリ疑惑が噴出した時に「やっぱりね」と思いました。もう少ししっかり言うなら、「やっぱり電博出身だからね」ということです。
私もその昔、上場企業で宣伝広告部門を担当し、多くの大手代理店クリエイティブの皆さまとお付き合いをさせていただきました。まだまだネットは出始めの時代であり、今ほどあらゆるデザインがそこから手に入る時代ではありませんでしたが、彼らが出してくるポスターなどのラフ案数案は、必ずと言っていいほど「元ネタ」があるものでした。
なぜ「元ネタ」があることを知ったかと言えば、彼らと酒の席を共にした際に、私の「よく毎度毎度、いろいろなデザイン案を考えられますね」という感想に対して、彼らの一人が「実は元ネタがあるんですよ」「そんな毎度毎度オリジナルアイデアなんて考えて出ませんよ」「どこのデザイナーも基本は同じ。
他社のラフを見せていただければ、あー元ネタはあれだなとだいたい見当がつきます」…、などという暴露話を聞かせてくれたのです。
私はその話を覚えていて、彼らの職場を訪問した際にどうやって「元ネタ」を拾い、パクリのラフを作るのかも見せてもらいました。もちろん、著作権にも触れる恐れがあるとの懸念から、「このやり方は大丈夫なのか」と尋ねたのですが、彼の答えは「大丈夫。広告媒体で訴えられたなんて聞いたことないです。国内の有名な広告だって、だいたいが海外の広告のパクリです。そんなことでいちいち訴えたり、訴えられたりしていたら、僕らの商売は成り立たないですよ」と言うものだったのです。
佐野氏の対応に学ぶ「他山の石」総括?「逃げ」と「怒」の広報は自滅を招く(大関暁夫) - BLOGOS(ブロゴス)
これほどあからさまに語るかどうかは別として、実際にある種の『業界内常識』があることは、多少なりとも広告宣伝の仕事に関われば誰でも経験することではある。現行の著作権法自体が問題の多い法律であることは確かだが、少なくとも現行法を尊重すれば、『灰色からやや黒』と言える事例は実は結構多いことも確かだ。
? 理解されない『クリエイティブ』
ただ、『パクリ文化』『パチモン文化』と断じてしまうのは、少々気の毒な気はする。現代のクリエイティブとは、まったくの無から有を生み出すような創作だけではなく、オリジナルの変形や結合等の二次創作的なクリエイティブの『創作性』も認めらている世界であり、そういう点での慣習を無下に否定しさることは、ある種の文化の破壊を招くとする意見には、それなりの正当性はあると思うからだ。サブカルチャーの領域でも、『コミケ』*1や『ニコニコ動画の二次創作/多次創作』*2など、法的にはさらに違法めいた内容を含みながらも、一定の文化創出効果があることも昨今では認められていて、それを日本の重要な文化と主張する意見も少なくない。
複製、変形、結合。
これらは生物の進化において欠かせない現象です。細胞分裂という原始的な活動だけでなく、私たちのクリエイティビティにもいえることです。活版印刷から World Wide Web まで、私たち人類が作り出してきたものは「複製、変形、結合」を繰り返した結果といえるでしょう。私たちが無から突然生まれたものではないのと同様、クリエイティビティも進化の過程のなかから生まれています。
ソフトウェアや Web デザインは、複製、変形、結合の連続の世界。コードから設計概念まで様々な要素がリミックスされ続けています。世界中がネットワークで繋がるようになってから、リミックスのスピードがさらに加速してきています。その過程で、目を覆いたくなるようなリミックスもたくさん出てきていますが、次の段階へ進むための素晴らしいアイデアも生まれています。その過程に自ら参加して何か作り続けることがクリエイティブに欠かせない行為だと思います。
クリエイティビティとコピーについて : could
? 火に油を注いだ広報対応
ただ、今回のケースで決定的に問題なのは、デザイナーという専門家のサークルと一般人の常識の乖離があまりに大きいのに、そのギャップを埋めることには、これまでほとんど誰も取り組んできていなかったことだろう。加えて、上記に引用したブログ『日本一“熱い街”熊谷の社長日記』の大関暁夫が指摘する通り、佐野氏側の広報対応には、一般人とのコミュニケーションという点で、問題があったと言わざるをえない。
佐野氏の釈明会見の一部を抜粋すると、こんな感じだ。
また、私個人の会社のメールアドレスがネット上で話題にされ、さまざまなオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗(ひぼう)中傷のメールが送られ、記憶にないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが届きます。自分のみならず、家族や無関係の親族の写真もネット上にさらされるなどのプライバシー侵害もあり、異常な状況が今も続いています。
今の状況はコンペに参加した当時の自分の思いとは、全く別の方向に向かってしまいました。もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました。
東京新聞:耐えられない限界状況 家族やスタッフ守るため決断 佐野氏コメント:社会(TOKYO Web)
大関暁夫氏はこれは危機管理広報としては、一番不味い対応だったという。
これは、「怒」の広報と言って危機管理広報において一番やってはいけない対応です。講演先の京都で報道陣に広報担当の佐野夫人が逆ギレしたという報道がありましたが、まさしく同じノリです。メディアに対する「怒」の広報は、敵を増やすだけであり確実に破滅に導く広報なのです。不祥事対応においてはどんなに理不尽な取材を受けようとも、それはある意味身から出た錆なのであり、「メディア=国民の代表」という意識を持った対応を忘れてはいけないのです。行き過ぎたメディア取材や心ない人たちへのクレームもそれはそれで理解できますが、まずは自身のお詫びありきであることを忘れてはいけません。
(中略)現実に危機管理広報で、メディア取材に対して逆ギレで破たんした例と言えば、雪印乳業社長の「私は寝てないんだ!」、焼肉えびす社長の「法律で普通の生肉をユッケで出すのをすべて禁止して欲しい!」という発言があります。いずれも、この発言が世間の大きな批判を買い彼らは程なく破綻しました。今回の感情的なコメントは、文書でこそあれそれに匹敵する「怒」レベルであると言ってもいいと思います。
佐野氏の対応に学ぶ「他山の石」総括~「逃げ」と「怒」の広報は自滅を招く - 日本一“熱い街”熊谷の社長日記
確かに、広報対応に熟達した企業からすれば、あのような釈明文では自ら火に油を注いでいるように見えるはずだと私も思う。このようなケースでの『セオリー』に反していると言わざるをえないからだ。広報対応/ネット世論とのコミュニケーションに熟達した企業という点では、かつてフジテレビの炎上事件に連座して、スポンサー企業として炎上や不買運動に苦しんだ花王など、今ではネット世論にも非常に気を使い、普段から自社サイトを使ってユーザーや潜在ユーザーとの地道なコミュニケーションに取り組み、自社の価値を伝え、ファンを増やし、いざ炎上ともなると、そのファンが火消しに回ってくれるようなことも起きているという。
インターネットが普及したことによる光と影は両方あるが、影の部分も現実として認めた上で、ユーザーとのコミュニケーションに取り組む企業は増えており、評論家の岡田斗司夫氏の主張する『いいひと戦略』ではないが、現代の企業にとって、この種のコミュニケーションの熟達が市場で生き残るための重要な要素になっている。佐野氏のケースでは、そのようなコミュニケーションに慣れていなかったことも騒ぎを大きくしてしまった面は否めない。
? 昇華と劣化
だが、それでも尚、今回のようなバッシングを認めるわけにはいかない。このようなバッシングが増えるようになると、『嫉妬』『恨みつらみ』等、ネガティブな『空気』を吸い込んで怪物化し、無制限に広がる恐れが多分にある。特に日本の場合は、コントロールが難しい『空気』や『気分』が今尚強く社会を支配しており、このような現象には万全の注意をはらう必要があると思うからだ。また、昨今、社会学者の宮台真司氏がよく指摘するような、日本社会の『感情の劣化』が著しいことも見逃せない。従前のような『社会の良識』があてにならなくなってきていて、社会に冷静なバランス感覚や抑止力が失われているように見える。
ネット世論に伏流する『感情』について言えば、社会学者の濱野智史氏と評論家の宇野常寛との共著『希望論』*3で指摘されているように、日本的のインターネットの特性(匿名性と趣味に没入没頭するエネルギーの強さ)に充満する『非論理的/非言語的なパワー』は、活用の仕方や出口を間違わなければ、『創造力』に昇華できる可能性を秘めていることは確かだし、それをうまく活用できれば日本経済の活性化にも寄与する可能性は失われていない。
また、濱野智史氏が別の著書『前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 』*4で述べるように、社会との関係を切断して閉じこもりがちになるネット民やオタクが、アイドルという商業的なシステムがきっかけであれ、双方向のコミュニケーションを取り戻していくことは、それこそ、枯渇してしまった感情の井戸を掘り起こす可能性を広げることにもつながり、肯定的に評価できる点はあるだろう。掘り起こした感情をさらに昇華させ、自らの愛情の対象を広げ、奉仕や自己犠牲の高みにまで到達できる可能性もあるかもしれない。
ところが一方で、この感情が劣化し、退廃して、嫉妬や劣情、怒り等のネガティブな方向に退転する恐れも多分にある。問題は、感情をネガティブな方向に向かわせずどう昇華させるか、という議論が欠けていることだ。ここに至れば、本来、『個の超越』『普遍』『無私』『慈悲』等、いわば形而上学的な領域に足を踏み入れてでも、徹底して探求すべきところなのだが、哲学者の東浩紀氏が最近ことあるごとに口にするように、今の日本では、オウム事件のトラウマが強すぎて、宗教的な問題はおろか、超越、崇高、神秘等、形而上学の領域を語ることをタブーとする空気が重くのしかかっているため、この種の議論が社会の表舞台からはほとんんど消えてしまっていて、わずかながら残ったものも、衰退の極みにあることだ。こんなことでは、社会の倫理観の立脚根拠がますます薄弱になり、やっていいこととそうではないことの区別さえつかなくなってしまうだろう。(もうそうなってきているというべきか。)
自分が不幸にしてバッシングを受けてしまったら、受けた当人には『人の噂も75日』と開き直る強さが何より必要だが、社会の側は、この機会に、『感情』『非言語コミュニケーション』『形而上学』等の問題を徹底的に考え直すきっかけにすることが重要なはずだ。佐野氏の問題の最深部には、やはりこの課題がどっかと鎮座しているように、私には見えてしまう。
ひろゆきはなぜ逮捕されないのか
06/09 2009
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僕が2ちゃんねるを捨てた理由 (扶桑社新書)
なんか書評書けと言わんばかりにこの本貰いましたが、まあ私に書かせてもメリットはないかと。ジャーナリストだからタブーないし。
一言でいうと、ひろゆき氏及び2ちゃんねるについて、知りたいことが全部隠されてる本だった。関係者一堂、空気読みすぎ。いつもイチローにくっついてる義田貴士みたいな“安牌インタビュー”は1冊目で十分かと。多くの読者は「知ってて書かない政治家の番記者」じゃなくて、やっぱり立花隆的なものを求めていると思う。
具体的には何かといえば、まあ以下2点が代表的な「編集者は出したいけど本人がOKしないタイトル」だろう。いずれも、ひろゆき氏の天才的なところなので、再現性ある形で書籍にまとめたらベストセラー間違いなしだ。
①「ひろゆきはなぜ逮捕されないのか」
一部上場企業(ドワンゴ)子会社の取締役を務めているのに報酬ゼロの理由について本書では「貰っても差し押さえられるだけだから」と不敵なコメントを残している。つまり、国内では正規ルートで給与を貰えない身になっているのが、現在のひろゆき氏だ。まさに「裏街道を生きることに決めた男」。スーパーアウトローだ。
なぜ給与を差し押さえられるかというと、2ちゃんねるへの書き込みを放置した管理者責任を問う損害賠償請求などの敗訴で賠償を命じられており、その支払いを拒否し続けているから。その額がまた、ハンパでない。
本人すら全体像を把握していないものを読売が執念深く計算しているのがまた面白いのだが、それによると、2007年3月時点で少なくとも43件で敗訴が確定し、賠償額は計約4億3400万円。さらに1日88万円ずつ「制裁金」が増えているそうだから、2年余り経った現在では、およそ11億円に膨らんでいることになる(これが2ちゃんねるを捨てた理由の筆頭なのは明らかだが、本書では触れていない)。
→敗訴連続のひろゆき氏 賠償額累計約4億円?
これら11億円の債務踏み倒しを公言しつつ、役員として「ニコニコ動画」を手掛け、このような本も出し、雑誌に連載もやって、と活発に仕事をする神経の図太さは、なかなかマネできない。本書によると何事もロジカルに考え徹底的に調べるというから、現在の法体系では支払わなくとも問題ないことを確認済みということだろう(新規訴訟で加速度的に額が膨らむのも面白くないから「捨てた」といったところか)。
今後、法改正があって刑事罰の対象になっても、普通は過去に遡って適用されることはないから問題はない。ただ日本の場合、まともな法治国家ではないため、サラ金の「過払い訴訟」のように、過去を覆してくるウルトラCも時々、起きる。仮にそうなっても、既にそれを上回る資産を海外の安全なところに移管済みだから、払えばいいや、というところだろうか。
この柔軟な考え方は、様々な示唆を与えてくれる。つまり日本という国は一応、法治国家ということになってはいるが、それはタテマエに過ぎず、法の抜け穴を利用して賢く生きる道もあるのだ、ということ。
たとえば国民年金にしてもNHK受信料にしても各種税金にしても、真面目に法律どおり払う人ほど損をする仕組みになっているのが実態だ。正直者がバカを見る「払い損国家・ニッポン」。さらには国会議員の政治献金にいたるまで、法の趣旨を守らず抜け道を使う議員ほど資金的に有利になる仕組みになっている。
ひろゆき氏も、表の所得がないから所得税すら払っていないことになる。それでも上場企業グループ会社の役員でいられる。これは日本のコンプライアンスの相場上は、特に問題ないことを意味している。
ここに、日本のDNAがはっきりと浮かび上がる。「額に汗する労働者が報われる社会に」などと検察は言うが、それがいかにタテマエであるかは、こうした穴ぼこだらけの法律を見れば一目瞭然。その欺瞞を、ひろゆき氏に指摘してもらいたいのである。
もしくは、日本は本質的にそういう国なのだから諦めて、法の抜け穴を調査し、ロジカルに徹底研究して、タテマエに縛られずに生きる人生術について、語ってもらえばいい。特に日本は出る杭を打つ、新しいもの(2ちゃんねるもそうだ)を打ち砕く社会なので、その際の対処法としての重要性は高い。
具体的には、「罰」が与えられる相場観が重要なテーマとなる。現状では賠償金債務11億円は払わず1億円超の年収を公言し(おそらく海外口座)、上場企業子会社の役員として活躍できるので、そこに「罰」は微塵もない。
自社株で表ガネ140億円キャッシュアウトしたホリエモンは逮捕され懲役という「罰」が確定しそうだが、ひろゆき氏の賠償金無視&年収1億円超(国内の給与所得ではないので実質裏ガネみたいなもの)はOKとされる日本。
その線引きは一般人には見えないが、ひろゆき氏には見えている、というわけだ。この相場観が、イコール国家権力の及ぶ範囲ということになる。国民は、この見えない線を知らないと安心して生活できないのだから、ぜひ解説していただきたい。
ほとんどの人が車を運転すれば制限速度オーバーでスピード違反を犯すように、日本人は常にタテマエ上は全員違法状態で、そのなかから誰を逮捕するかは、相場観に基づく国家権力の裁量次第なのだ。
その論理について、現在収監中の元ライブドア・宮内氏は著書『虚構』のなかでこう述べている。
堀江や私は、違法は論外としても、法の網の目をかいくぐる行為は合法なら許されると信じていた。それに、合法の積み重ねが邪な脱法意識のもとで行われると、国家権力はその脱法を許さないという「国家の論理」を知らなかった。要は未熟だった。
少なくともひろゆきレベルは全然OK、というのが今の国家権力(検察、警察、国会)が出している答えなのだ。
②「ボランティアに働かせてトップは年収1億稼ぐ仕事術」
これが2つ目の案。この本が出たら、まず、すべての経営者が買うだろう。これは2ちゃんねるのビジネスモデルの根幹をなす部分である。ボランティアワーカーに金銭ではなく「自分の遊び場」といった“オーナー感”のような対価を与え、削除業務や板の統廃合業務などの仕事をボランティアでやってもらい、自分は広告収入などで、自称年1億3千万円をガッツリ稼ぐという、超・経営論。
このスタッフの「モチベーション・インセンティブ管理」の手法は、天才的というほかない。NPOの経営にも適用できるのではないか。次期総理予定の鳩山「友愛」由起夫氏がしきりに言う「ボランティア経済」の理念にも通じるものがある。
具体性や方法論がまったく見えない鳩山氏だが、その点、ひろゆき氏は実績がある。ゲームと睡眠ばかりで「1%のひらめきと99%の他人任せ」によって、「仕事といえばボランティアの人たちの小さな揉め事の仲裁に入るぐらい」だというからすごい。
その暗黙知を形式知化できれば、教育・介護・医療・子育てといった分野の国家財政への貢献は計り知れないだろう。
日本人は常にタテマエ上は全員違法状態で、そのなかから誰を逮捕するかは、相場観に基づく国家権力の裁量次第なのだ。スピード違反の取締りなどが、分かりやすい例だね。
わかっているようでわからないひろゆきの謎
2ちゃんねる閉鎖か、という話がかけめぐっている。
ほんとうに閉鎖されるかどうかはともかく、管理人の
ひろゆきが危ない綱渡りをしているのは確かだろう。
●巧妙な仕掛けと大胆不敵な対応
2ちゃんねるで誹謗中傷された男性が、書きこみをした人についての情報開示を請求した。管理人の西村博之氏(通称ひろゆき)は裁判に応じず、昨年 9月に開示を命じる仮処分が出た。それにも応じなかったために1日5万円の制裁金が科されたが、それも無視。ひろゆきの財産の差し押さえが申し立てられ、 2ちゃんねるにも影響が及ぶのではないかと懸念されている。
昨年春、参加しているいくつかの集まりのひとつにひろゆきがやってきて、彼の話を聞いた。「争うのが嫌い」だそうで「負けるが勝ち」の方針のも と、裁判にはいっさい出廷せず、何の反論もしないので敗訴するが、賠償金もすべて払わないことにしていると言っていた。最初の裁判で400万円の支払い命 令が出たが、払えなかったのがきっかけでそうなったとのことで、意図したものというより、少なくとも当初は払えなかった、ということのようだ。
賠償金はもう何千万円にもなるが、裁判所が差し押さえをしようと思っても個人財産を持っていないのでできないのだという。収入は彼には直接入らず、彼が設 立した会社に行く。ひろゆきはその会社からなんらかの形でお金を得ているのだろうが、そのルートがわからなければ差し押さえができないということらしく、 少なくともこれまではほとんど差し押さえられなかった。徹底的に踏み倒す気になればできることを、ひろゆきは身をもって実証しているわけだ。
こうしたひろゆきの対応について、聞いてはいたが、飄々と目の前で何ごともなさげに口にされるとやはり驚いた。そう飛び抜けて反社会的にも見えない目の前のハンサムな好青年が、そんな大胆不敵なことを実践しているとは、と思ったのだ。
実際のところ、ひろゆきの収入はかなりあるようだ。早稲田大学での講演で、ひろゆき自身、年収は「日本の人口より多い」と言ったそうだが、2ちゃんねるに 張られているリンクをクリックすればアダルト広告がいっぱい現われるし、過去ログを読むためのビュアーも売っている。また、2ちゃんねるに書きこもうとす ると、知的財産権の無償譲渡を求められる。書きこみを乱用されないための防御的な意味もあるようだが、ベストセラーになった『電車男』を始め、書きこみを まとめた本の著作権はひろゆきにある。ひろゆき一人の収入にもできるわけだが、「電車男」当人など関係者や、書きこみを編集した「まとめサイト」の運営者 とも印税を分け、寄付もしているらしい。2ちゃんねるの書きこみは次々と本になり、ドラマや映画化もされているので、ひろゆきにかなりの収入があっても不 思議はない。
●「永遠の19歳」であればいいが‥‥
昨年春の会では、すっぽかすこともまれではないという風評にたがわず、ひろゆきは定刻に現われなかった。来ないのかと思っていたらそれでもやって きて、ゲームばかりしているなどと、ヒマを持てあましているようなことも口にする。そして、ケータイの未来から「小泉政権をどう思うか」といった当惑して も不思議のない質問まで、何を尋ねてもおもしろい答えが返ってくる。頭のめぐりがきわめていいことは明らかで、賠償金を踏み倒すといったタフな態度をとり ながらも、IT起業家などによくいるようなイヤミな上昇志向はない。肩の力が抜けていて欲が感じられず、世間標準からするとそうとう変わっているが、彼の 言っているほうが当たっているのかもしれない、そんなふうにも感じられ、考え方としては共感するところも多かった。私も20代だったら、彼のように考えた かもしれない、とさえ思った。
しかし、もはや若くない身としては、彼のやっていることは、やはりそうとう無謀に見える。裁判や賠償に応じない今 の態度をとっているかぎり、ふつうの社会生活を送ることもむずかしいだろう。携帯電話とメールがあればどこにいても連絡は取れるものの、裁判所や法律事務 所、あるいは2ちゃんねるに恨みを持つ人びとから逃れるために所在地もはっきりさせにくい。となると、結婚して、子どもを育てるといったこともできないか もしれない。そんなことはさしあたり望んでないかもしれないが、これから数十年、こうした暮らしを続けられるだろうか。
ひとりで矢おもてに立っ て、2ちゃんねるの匿名性を維持しているひろゆきは2ちゃんねらーのヒーローかもしれないが、彼が犠牲にしなければならないものはかなり多いはずだ。2 ちゃんねるによってお金が儲かったとしても、少々大げさに言えば、2ちゃんねるを続けるかぎり、彼には安住の地はないわけだ。
●ひろゆきの情熱
ひろゆきの話を聞いたのは、ライブドアの堀江貴文社長(当時)が逮捕され、大騒ぎになってまもなくだった。事件を指揮した特捜部長は、「額に汗し て働いている人々や、法令を遵守して経済活動を行っている企業などが出し抜かれ、不公正がまかり通る社会にしてはならない」と、グレーな領域にも踏みこん でいくことを表明していた。法律を支える側から見れば、彼のやっていることは明らかに法律への挑戦で、その賠償金が積み上がり、彼の態度が知られるように なればなるほど、当局の見せしめ的な対応のターゲットになる可能性は高くなる。実際のところ、2ちゃんねるでのやりとりに気晴らしや救い、安らぎさえ感じ ている人がいる一方で、誹謗中傷されて悪感情を抱く人も次々と生まれている。2ちゃんねるやひろゆきをどうにかしてつぶしてやろうと思う人も確実に増えて いるわけだ。そういう意味でも、彼のリスクは高まっている。
十分に聡明な彼が、はたしてそうしたことを感じないのだろうか。尋ねてみようかと思ったが、やめた。2ちゃんねるで誹謗中傷が横行し、それに十分 に対処できないでいるかぎり、今後も訴訟は続くだろう。お金があるなら、弁護士などを雇って法的な対処をする「大人のやり方」もあるとは思うが、そうした 方法をひろゆきはとりたくないようだ。そもそも彼は、学生時代、「交通違反のもみ消し方」というサイトを作り、警察官と議論して違反を免れる方法を伝授し たりもしている。法律について勉強もしていて、彼の行動はきわめて意識的で、いわば「確信犯」である。少々の危険におびえるぐらいだったら、2ちゃんねる は今のようには続いていなかっただろう。答えがわかりきっているように思えて、あえて尋ねる気がしなかった。
しかしそれにしても、彼は、なぜそうまでして2ちゃんねるを続けているのだろうか。「もう飽きた」などと言いつつもやっているのは、これだけ人が 集まるサイトになってしまい、簡単にやめられなくなったということもあるだろうが、それだけなのだろうか。彼がそのとき口にしたことのなかには、そうした 疑問に対するヒントのようなものもあった。次回はひろゆきが2ちゃんねるを続ける情熱のありかについて考えてみたい。
afterword
2ちゃんねるの「総合案内」にある「削除ガイドライン」を見ると、かなり細かい削除規定が書かれている。まったく削除する気がないというよりも、やはり対処しきれなくなった、ということなのだろう。
関連サイト
●ひろゆきが法律の専門家と対談し、昨年7月に刊行した2ちゃんねるで学ぶ著作権という本を読むと、ひろゆきが法律に関心も知識もあり、法的な対処を真剣に考えていることがわかる。それだけに、「負けるが勝ち」という無謀なやり方は不可思議だ。
「それに、合法の積み重ねが邪な脱法意識のもとで行われると、国家権力はその脱法を許さないという『国家の論理』を知らなかった。要は未熟だった。」(同)。グレーゾーン攻めるんなら、ひろゆき並の「見えない線引きを見極める力」が必要です。
業務上でミスしたら弁償金と謝罪金ね、っていう契約書自体が違法で無効だと思うんだが、はっきり労基署が「これは違法」って明示しないとブラック企業のやりたい放題で不幸が止まらない。アリさんマークの引越社と同じ手口/19歳青年が自殺
現実:佐野研二郎は日本国内からは全く訴えられてない
模倣や著作権法のグレーゾーンの広さと創造性の関係
良いデザインって何なのか(次回書きます)
模倣や著作権法のグレーゾーンの広さと創造性の関係
トートバッグの件ではいくつか問題が指摘されたデザインがありましたが、法的な要因と職業倫理的な要因が混在する中で、法的にNGと思われるものが取り下げられたようです。
法的なことについてはこちらの記事が参考になりました。
記事によると、「BEACH」の件は、作風から何から何までそのまんまコピーされているので法的にアウトの可能性が高いとのこと。
フランスパンのものは、元の写真の著作権が認められる可能性が高いのでこれも法的にアウトではないかとのこと。
水に浮く女性については、一部加工されてはいるものの、ベースの構図やテイストはかなり同じなので、これもたぶんアウトだろうとのこと。
たぶんこの記事では、法的に上から順にアウト率が高いということだと思うのですが、もし自分が佐野さんの立場だったら3つ目が一番痛いと思います。
「水に浮く女性」の絶妙な脱力感、浮遊感は、なかなかオリジナルで生み出すには才能が必要だろうなぁと思うほど素敵な作品で、実際、評価のあるデザイナーさんの作品のようです。そういう「おいしい部分」をわかった上でトレースしたとなると、自分たちがやったこととはいえ、トップクリエイターとしてのプライドが傷つくだろうなぁと思います(実作業はアシスタントさんとのことですが)。
ということで、少し話しそれましたが、法的な問題、職業倫理的な問題、そしてトップクリエイターだからこその問題が混在しているような気がします。そして冷静に考えると、あくまでもトートバッグの不正に関して佐野さんがバッシングされている一番大きな理由は、「トップクリエイター(の事務所)なのにそんなことをした」ということではないかと思います。
なぜなら法的に引っかかる問題から倫理的な問題まで、模倣は身の回りにありふれているけど、けっこうスルーされていることも多いからです。
例えば、どこかの企業が研究開発費や時間を投入してヒットさせた商品も、その後模倣され安価でスーパーや百均にあたりまえのように並んでいたりします。そして私たちもその恩恵を受けていたりします。
先日行われていたコミケも大きな経済効果があったと言われていますが、たぶん二次創作物もかなり貢献しているのではないでしょうか。
そして私たちウェブ制作者も、前を走るクリエイターの作品を参考にさせてもらうことが多々あります、というか、何も参考にせずに作るということはまずありません。
ただし先のトートバッグの例のように著作権がクリアになってない画像を無断で使ったり、作品のテイストから構図まですべてそのまま使うことはありません。必ず自分なりの何かが加わります。人のつくったものをそのまんまパクるのはつくり手としてなんか悔しいという理由もありますし、ウェブの場合はクライアントさんの個性をデザインに落とし込んだら必然的に変わってくる、ということがあります。
ともかく制作者は、法的、倫理的に、ここまではOKここから先はNGということを、それぞれ自分の心の中で探りながら作業しているんじゃないかと思います。
(追記:誤解のないように書き足しておくと、何かを参考にするのは模倣ではなく正当な制作手順であることのほうが多いと思いますが、上記では「グレーゾーン」に関わりそうな部分だけ取り上げています。)
これ以外にも模倣について考え出すときりがなくなります。例えば父親が聴いてる演歌を横で聴いてると、オリジナリティのある名曲も多いけど、けっこう量産型演歌と言っていいんじゃないかという「型」にはまりきった曲も多いです。萌え絵なども、最初に誰かがそれらしいのを描いたのをみんなで模倣しあいながらブラッシュアップしてああいった「型」が完成したのではないかと思います。
ということで、「模倣」のグレーゾーン、著作権法の親告罪(今のところ)というグレーゾーンは何かを生み出す土壌なんだなぁということを思います。そしてそのグレーから生まれてきた爆発的に面白かったりします。例えばキアヌリーヴスのコラなんかは肖像権的な問題もありそうですが、わりとみんな躊躇なく楽しんだりしています。拾った画像をSNSのアイコンに使ったりするのもグレーだったりすると思うのですが、ネット上ではそのへんお互い寛大に、けっこう楽しくやってたりします。
ちょっと話それましたが、そういった理由で創作に携わったことのある人はこの騒動に考えさせられることが多かったんじゃないかと思います。例えばエンブレムに関しては同情的な意見が多かったのも、制作過程をある程度想像できたり、こういった現状を身近に感じているからではないでしょうか。創作に携わったことのある人とそうでない人で捉え方が違うのはそういった理由ではないかなぁと思います。
自分としては、「クロ」にしたほうがいいグレーゾーンと、グレーのままにしておいたほうがいいグレーゾーンの両方がありそうな気がするのですが、その線引きはすごく難しいです。今回のように、トップを走る人とそれ以外ではデザインのオリジナリティに対する責任は違ってきそうだし、さっきのキアヌのコラでも、もしこれが全くの素人がネタにされてたとすると笑えない話になりそうです。たぶん二次創作の世界でも(TPPによる非親告罪化の話はおいといて)、原作への敬意がある場合と、原作への冒涜が感じられる場合で変わってくるのかなぁと思います。
「天地明察」などの小説や、アニメのゲームの原案・脚本を手がける冲方丁さんが7月17日、自作の2次創作を全面解禁することを自身のブログで提案した。2次創作は「長らく黙認と放置が業界の通例」だったが、「グレーゾーン」のもとあいまいだった権利や利用のあり方を明確化し、海賊版や違法利用の抑制を目指す狙いだ。
福井弁護士は、「著作権法は、グレーゾーンの幅が広い。法に触れるかどうかを考えるだけではあまり意味がない」と指摘する。それは、著作物という「情報」の本質に由来する。「ある本は、1人で読もうが100人で読もうが、その内容は減らない。また情報は、複製可能で独占管理しづらい。土地なら他人が侵入したらわかるが、著作物はコピーを取られてもわからない。この『非競合性』と『非排除性』により、情報は自由流通の性質を持つ」(福井弁護士)。
しかし、著作者が対価を得るためには作品を管理する必要があるという創作振興の観点から、「自由流通が原則の情報をあえて一部著作物として切り取って、創作者に対して独占管理を一定期間許している」(同)。著作権は絶対ではなく、その時代の社会や市場の状況に応じて変わるものであり、そのことがグレーゾーンの広さにつながっている。
広がりすぎた社会のグレーゾーン化の象徴「2ちゃんねる」
先週後半当たりから、なにやら2ちゃんねる周辺が騒がしい。一部マスコミで「2ch.net」のドメインまで差し押さえられる可能性が指摘されたからのようだ。
ZAKZAK「ユーザーショック…2ちゃんねる、再来週にも強制執行 」
ネット界激震!! 賠償命令を無視し続けてきた日本最大の掲示板「2ちゃんねる」(2Ch)の管理人、西村博之氏(30)の全財産が仮差し押さえされることが12日、分かった。債権者が東京地裁に申し立てたもので、対象となるのは西村氏の銀行口座、軽自動車、パソコン、さらにネット上の住所にあたる2Chのドメイン「2ch.net」にまで及ぶ見込み。執行されれば掲示板の機能が一時停止するのは必至だ。
whois検索してみればわかるし、既に何人かの弁護士センセイが指摘しているように、「2ch.net」ドメインはひろゆきの名義にはなっていない。なので、単純にドメイン差し押さえは難しいだろう。
が、この問題は「ドメインの差し押さえは名義が違うから無理ですね」で済むのかどうかは、情勢的に微妙だろうと思う。2年前ならこれは単なる噂に過ぎないと一蹴できただろうが、今現在は違う。昨年のライブドア強制捜査→ホリエモン逮捕以降、消費者金融の「グレーゾーン金利」撤廃議論や、路上駐車や飲酒運転の取り締まり強化や、Winny開発者への有罪判決などの社会の一連の流れは、2ちゃんねるに味方していない。
世の中には、殺人や強盗など明らかな「犯罪」と、なんら社会的・道徳的に問題のない「無罪」な状態に完全に二分されるわけではない。有罪と無罪の間にはある程度の「グレーゾーン」が広がっているのが普通である。ところが社会が細分化され、価値観や道徳観がバラバラになった結果、あまりにもその「グレーゾーン」が広がりすぎてしまった。それを是正する動きが自然と出てきて、今、黒に近い(と思われる)グレーを法律等で「クロ」だと決定する動きが広がっているように思う。
駐車違反のグレーゾーン撤廃
たとえば車を運転する人にとっては、「駐車違反」などがその典型例だろうか。数年前までは「少しの時間止めるだけ」「ちょっとトイレに行く間だけ」車を止めておくのは、「グレーゾーン」であった。もちろん厳密に言えば、駐車違反区域に駐車していれば「駐車違反」なのは当たり前ではある。しかし、あまりに杓子定規に駐車違反として取り締まってしまうと、車の利便性が損なわれてしまうという意見が大勢を占め、「車線がある程度広い道での数十分くらいの駐車はグレーゾーン」とする考えが主流だったろう。
しかし、このグレーゾーンは広がりすぎた。ドライバーによっては数十分が小一時間から一時間超に「グレーゾーン駐車時間」拡大されたり、あるいは逆に歩行者や周辺住民にとっては数分の駐車でも十分悪質だと感じるようになった(それほどに車が増えた、あるいはドライバーのマナーが悪くなった)。結果、2006年6月1日より道路交通法が改正され、「少しでも車を離れていたら駐車違反」という風になった。つまり、従来グレーゾーンがほぼ撤廃されて、明確にクロ判定となったわけだ。
同じことのダブりになるので詳細は書かないが、飲酒運転厳罰化や消費者金融のグレーゾーン金利撤廃なども、その流れである。加えて、ホリエモンや村上氏の逮捕、Winny開発者への有罪判決なども、同じ流れにあると考えていいと思う。
そして、2ちゃんねるである。2ちゃんねるは、2つの意味で「社会のグレーゾーン化」の象徴であると私は思う。
2ちゃんねるのグレーゾーン1「祭られる側」
1つはまず、2ちゃんねるで「祭り」になる多くの題材が、「グレーゾーン」なものだと思う。明らかにひどい残虐な殺人犯を指して「これはひどい」と祭りになることは少ないだろう。少し古くは「イラク人質(とその家族)」への自己責任論バッシング、最近では「死ぬ死ぬ詐欺」バッシングなどが典型だが、バッシングされる根拠となる行動というのは、法律的に明らかに問題であるわけではない(そうでなるなら、とっくに逮捕されているわけだし)。
そうではなく、「一部の2ちゃんねらー(笑)」が、「法律的に微妙だけど、どーなんだ」あるいは「道徳的にそれはまずいだろう」と考えた問題がクローズアップされ、司法に変わって正義の鉄槌を下すのである。
特に「死ぬ死ぬ詐欺」なんかが典型だが、社会が細分化され共通の道徳観や思想が崩壊した結果、「年収○○円で○○円の自宅を購入している会社員が○○円募金をメディアを通じてお願いする」事に対して、道徳的にまずいのかOKなのかのコンセンサスがない時代なのだと思う。社会の上層以上の人間にとっては既にローンも組んでいる状態でさらに○○円なんて、とても用立てできないから、募金をお願いするのは至極当然だと考える。一方社会の底辺にいる人にとっては、自分のレベルまで生活レベルを落とせば十分給料で賄える金額なのに、それで募金を集めるのは『詐欺』じゃないかと考える。「一部の2ちゃんねらー(笑)」と呼ばれる人たちは、これを「限りなくクロに近いグレー」ととらえて、攻撃する。
2ちゃんねるのグレーゾーン1「祭る側」
2つめの意味は、その攻撃方法がグレーゾーンだという問題だ。
「表現の自由」は、もちろん憲法でも認められた権利だ。が、何百人、時には何千人と集団で個人の言動を非難し、場合によっては大学や会社などへ電話することが道徳的にまずいのかOKなのかという問題も、また「グレーゾーン」なんだろう。
「一部の2ちゃんねらー(笑)」は、悪いのは相手であり、その悪い相手に対して合法的な手段で情報を集めて、その本性を暴くことが「問題行為」だとは考えていない。しかし一方で、「相手に多少の非があるにしろ、よってたかって会社や学校まで巻き込むのはまずいだろう」と考える人も多い。また、2ちゃんねるは実質的に匿名掲示板であるため、発言や行動の責任が最終的に誰に帰結するのかというのもまた「グレーゾーン」だ。
そろそろ2ちゃんねる的「グレーゾーン」の限界か
「裁判」、とくに民事裁判というのは、そのグレーゾーンに関して白黒つける、というのが大きな目的である。ところが2ちゃんねるに限っては、その機能もまた崩壊している。ひろゆき氏が裁判を放棄し、その代わり賠償金を支払わない、という戦術をとっているためだ。
「2ch.net」ドメインを差し押さえろ、とかいう記事が出てくること自体が、時代の流れが「今のカタチでの2ちゃんねる存続」に不利だろうと思う。確かに名義はひろゆき氏とは別人だ、今までの社会の考え方では、差し押さえできない。しかしドメインが別名義であっても、中の掲示板コンテンツが実質「ひろゆき」氏の所有物であると認定されれば、ドメインではなく「掲示板」自体を差し押さえられる可能性もなくはないと思う。倉庫の土地が他人名義でも、中の荷物がひろゆき氏の所有物だと認定できれば、差し押さえることができるであろうからだ。
もちろんそれとて、今日明日で簡単に事が運ぶことでないのは確かだと思うが。当局によって2ちゃんが「クロ」だと判定されれば、最悪の場合、有無を言わさず閉鎖ということもある。個人的には、そこまでこじれるまえに、自主的に「2ちゃんねるはシロ」という社会的にコンセンサスが得られるよう、少なくとも「その努力」はした方がいいと思うのだが。これらは全て「ひろゆき氏」次第だろうか。